発掘と思い出

このところ発掘ブームとでも言おうか、昔の映像がよく登場する。

タブレットを見ていた妻が突然「こんなのがあるよ!」、北村英治カルテットでピアノは私、皆若い。

全く思い出せずタイトルを見ると「帝国ホテル・ジャズフェスティバル2006年」、あぁ、あの時か。

思い出すのは故人となられた俳優の田中邦衛さんが楽屋を訪ねてくれたこと。

 

話は昭和に飛ぶ、若き北村さんが出演する渋谷のライブハウス、よく俳優座若手が来店し中に邦衛さんがいらした。

まだ売れない時期だったそうで、北村さんの演奏する「古い十字架」"Old Ragged Cross"が心に染みた。

時は平成となったある日テレビ局でお二人ばったり再会、邦衛さんからその話を聞いた北村さんがライブに誘った。

ご自宅から近い横浜のライブにお越しになり「古い十字架」にいたく感激され「いやぁ音楽って素晴らしい、皆さんホントに素晴らしいなぁ!」と我々一人一人に握手。

映像で観るあのまま、何かとても純粋なお人柄を感じた。

その年の映像発掘にびっくり。


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初ベース

昨日午前中、月末出演のあわら市グランディア芳泉」に企画のタビィーザさんと最終確認に伺い、その足で支援者(実質マネージャー)さんを訪ね、7月予定「金津創作の森コンサート」のチラシを頂いて来た。

帰宅してお昼を食べ、車に先日頂いたエレキベースを積んで勝山市へとレッスンに向かう。

市街地を抜け山を登る緑が美しい、と、毎月同じことを書いてしまう快適な50分。

 

福井でのレッスン初ベース伴奏、生徒さん「お陰でノリます」と笑顔。

ベースラインなど意識しアマチュアとしてセッションの楽しみも感じるが、あくまでもレッスンで生徒さんのピアノ演奏に耳を傾けつつ。

ピアノソロと違いアンサンブル練習にベースがないのは漫才の練習を一人でやるようなもの、と、演芸好きの例え方になってしまうが、少年期の経験が役に立っている。

「創作の森」チラシをお渡しして夕刻帰宅。

予約は順調に伸びているようでありがたい。

 

 

マネージャーなし

昨日お昼過ぎに出かけて帰宅して石川県での地震を知った。

昨年帰郷してから能登地方で頻発しており、その度に遠方知人からの気遣いメールに感謝申し上げる。

 

7月24日予定の「金津創作の森」コンサート、既に昼の部は残り席少ないほど御予約を頂いている。

支援して下さる方々による企画運営、うっかり公示前に日程を当ブログに書いてしまい、その時点でチケット問合せありネタバレを反省。

 

東京時代は個人マネージャーなく一人でやってきたが、長年ご一緒した水森亜土さんもそうだった。

イラストレーター、歌手、タレント、舞台女優とマルチ人間、連絡先は舞台女優として所属される劇団だが、ジャズ歌手の活動は私がマネージャー代行した時期があった。

劇団はジャズ関連は専門外で主催者から直接私に連絡、当日の進行と時間、予定曲、音響、楽器搬入の経路など打ち合わせ。

亜土さんから十分な気遣いも頂いたが、これら事務作業を負担に感じなかったのは自分が演奏するからで、段取り進行が楽しくさえあった。

とは言え、福井に住んで皆さんのお陰で演奏だけに専念できる今、心からありがたい。

 

 

 

 

自由・自在

東京時代にクラシックのフルートとチェロ、ジャズベースと私の4人編成でコラボした時期があり、互いに演奏家としての日常にない楽しみがあった。

クラシックとジャズは共通点も違いもある。

双方洋楽として楽器と奏法、ハーモニーなど共通するが、クラシックは演奏する全ての音が譜面に書かれているのに対して、ジャズは記譜されてない部分をアドリブで展開する。

 

演奏を習熟する過程にも大きな違いがある。

クラシックは長い歴史の中で初歩から上級までの指導者や教室がシステムとしてあるが、ジャズは個人表現が重視される音楽でアカデミックな教育が難しい。

楽器の基礎的奏法はクラシックで学んでも、ジャズ演奏の技量や表現を高めてゆくのはあくまでも自己で、日々何が必要な練習かを考え積み重ねる。

 

私がジャズを好きになったきっかけが譜面通りでなく自由に演奏することだが、質の高い音楽を自在に演奏することがいかに難しいかを後になって知る。

自在の楽しさを少し感じるようになったのは50代後半、還暦過ぎて少しづつマシになっているようにも思うが、まだまだ磨き処多し育ちざかりの今。

 

 

こんな方だとは

2日ほど前にジャズピアノレッスンを受けたいとの電話を受け、とりあえずカフェ「森のめぐみ」でお会いすることになり昨日伺った。

ランチタイムが終わりお店が休める時間帯、早めに到着しマスターにご挨拶すると、電話男性のことをよく御存知で話してくれた。

クラシック音楽の教育者として長年尽力され、演奏家としても活動されている方だと知った。

店のドアが開き年配男性がアルコール消毒に手をやる、マスター「あ、あの方です」。

 

清水八州男(しみずやすお)さん、77歳と思えぬすっとしたお姿、挨拶を交わしレッスン目的を伺うと「ジャズピアノのハーモニーを知りたい」と。

ピアノで弾きながら解説をすると、「ほー」と感心された様子。

しばし解説の後は雑談、往年映画音楽が大好きでとのお話しに私も身を乗り出し、ピアノでワンフレーズ弾いたり映画話をしたり。

控えめで丁寧なお言葉に音楽家としての情熱を感じる、参考資料の譜面作成してお送りする約束をし、今後はまた相談ということでお別れした。

 

帰宅して活動がネット動画にあるとお聞きしたので拝見、室内楽チェンバロを演奏され実に素晴らしい、はぁー!、こんな方だとは。

 

 

話し言葉

ローカルニュースで新幹線福井延伸に向け、「福井方言愛着ましましプロジェクト」、地元出身の有名俳優、津田寛治さんが広報担当の話題。

私は福井(旧芦原町)で育ち長い東京暮らしも同郷の妻と方言+標準語チャンポンだったが、育った家庭環境もそうだった。

 

祖母は明治時代に横浜で生まれ育ち嫁入りでアメリカへ、8年の滞在中に母を産み帰国してやはり横浜に住んだ。

戦争の空襲で熊本への疎開を経て福井に越し、私はあわら市(旧芦原町)で育った。

 

温泉町で各地から移り住んだ人も多く、家のご近所は関西弁のおばちゃんも。

母は元々標準語で私の小学生時代に方言交じりになっていったように思うが、祖母は関東言葉のままだった。

18歳で上京した直後は標準語への緊張感はあったが、お年寄りの話し言葉に祖母が重なり妙な安堵感と懐かしさがあった。

数年ほどして祖母が亡くなり、一人となった母は長男(私の兄)が住む函館に引越し、1年過ぎる頃にはすっかり標準語に戻っていた。

 

私にとって福井弁も標準語も体に馴染んだ母語感覚がある。

 

 

前座さん

3日前にビートルズ前座のことを書いて関連話を思いついたが、エレキベースを頂いたり新聞記事に紹介された話になってしまったので本日。

「前座」の語源は見習い落語家のことで、寄席楽屋で下座(おはやし)の太鼓、師匠の着物をたたむ、お茶入れ、高座のめくり(出演者の表示)、座布団を裏返すなど。

 

30代頃に新宿「末廣亭」によく行ったのは、JR中央線一本で帰宅出来る気安さから。

連日昼夜2公演、仕事が午後で終わったりすると夕方ぶらっと、口明けの5時頃は客もまばらで先ず前座さんが出演。

羽織を着ておらず一目でそれと分かり、緊張が見て取れる初々しさもあればプロ芸を感じる演者さんも。

 

寄席関連の知人に末廣亭の楽屋を案内してもらったことがある。

正面脇の人一人がやっと通れる細い路地に楽屋口、入ると意外と狭い座敷で出番が終われば次々出て行くそうだ。

都内の寄席がビルに様変わりした中昭和がそのまま残る貴重な建物、一時期取り壊しの話もあったが現在も存続。

新宿三丁目の歓楽街にあり、この界隈で毎秋開催されるジャズフェスはコロナ中止となって3年、例え今年の出演依頼を頂いたとして福井から上京するかどうか。