自分の言葉として

昨日、アナウンサーの木原早苗さんと久々にお会いして、打ち合わせ・・・というより身の上話的なお茶のひとときを過ごした。

 

過去毎秋に行ってきた、ナレーションと音楽のコラボ「天空の景」、今年になってある事情で中止を決めた後に体調を崩されて、夏に入った頃に回復された。

 

元気を取り戻して、コラボを前向きに考えており、具体的なことは見えてませんが、今後も宜しくとのお話だった。

 

過去のコラボライブにお越しのお客様の多くは中高年世代で、好意的な感想が多数あり、30~40代世代も「日常を忘れて語りと音楽に浸りました」と言う方もいらしたが、「若者も分かり易い内容を少し盛り込んでくれたら」という方もいらしたそうだ。

 

木原さんとしては、今様の事物を盛り込むことは可能だが、自分の感性から出る言葉として何かを表現することは無理がある、と。

 

私の音楽も同じで、若いお客様に対してディズニーナンバーは演奏しているが、今様のポップスなどは自分の感性としての表現は難しい。

譜面に書けば演奏は可能だが、心から惚れ込んで演奏することは無理がある。

 

惚れ込んだ曲を演奏することに喜びを感じ、その音に世代を超えたお客様が喜びを感じてくれる、それが演者としての幸せ。

 

200年も前に生まれたクラシック音楽古典落語などが、時代世代を超えて一般大衆に親しまれているのはそういうことかと思う。