私がプロとなった昭和50年(1975年)当時はホテルやキャバレーの仕事が多かった。
「ハコ」と呼ばれたレギュラーバンドとして毎日通う仕事で、当時キャバレーに欠かせない条件はホステス(接客女性)とバンド。
大抵2バンドで、メインのジャズバンドはジャズ、ラテン、ポップスなどダンス音楽、チェンジバンドは歌謡コーラスで、ムード歌謡やポップス、営業中は生演奏が絶えない贅沢な時代だった。
駆け出しの私はホテル仕事はなんとかなったので、キャバレーも同じと思っていたが甘かった。
ダンスの定番曲を知らず、ショーの譜面は読めず、毎日バンマスから怒鳴られながらも不思議とクビにもならず。
当時こういう仕事メインで合間にジャズライブに出演していたが、3~4年でキャバレーは斜陽を迎えて次々と消え、そこに頼っていた多くの演奏家が廃業、昭和50年代半ばにかけての話しである。
今は昔と思っていたら、なんとキャバレー仕事は健在だった。
ジャズヴォーカルの方から「キャバレーの仕事お願いできますか」と、わざわざ池袋の出演先までお越しになっての丁寧な依頼。
70年代あたりのポップス中心(私には懐かしく知る曲ばかり)でジャズも少し、昔と随分違うのは当然だが何だか面白そう。
40年余りの時を経た浦島太郎感覚で本日、上野「キャバレー・ピナーズ」に出演。