スイングに出会う

昨日書いたコルトレーンの「至上の愛」は1965年に発表され『ジャズが大衆娯楽から芸術音楽に至った作品』と高く評価された。

ジャズは芸術的発展へと進みファンはそれ以前のスイング、ディキシーなど見向きもしなくなり、ジャズ喫茶にはかつて花形楽器だったクラリネットのレコードもなく志す若者もいなくなった。

とはいえ、鈴木章治さん、藤家虹二さん、レイモンド・コンデさん、そして北村英治さんといったジャズクラリネット奏者は当時の働き盛り世代に人気だったが、若い革新的ジャズファンは大衆娯楽として一線を画した。

 

1975年、私が20歳でプロデビューしたのはホテルのバンドで、バンマスは西村さんというクラリネットとアルトサックス、バイブラホンとたまに歌も歌う器用な方だった。

ポピュラー、映画音楽、スタンダードジャズなどの演奏は楽しいが、これは食うための大衆娯楽で目指すところはモダンジャズだった。

 

その後キャバレーなどの仕事を経て24歳、ある店に通うことになってバンマスがクラリネット小田洋司さんのカルテット。

"Indiana","Avaron","Shine"など初めて演奏する曲が多く、モダンジャズと一味二味違う、でもえも言われず楽しい、それがスイングジャズだった。

キャバレーに類する店だったが、オーナーは小田さんが「あずまのトンちゃん」と呼ぶ元ベーシストだったので自由に演奏出来たことが私にも幸いした。

それまで眼中になかったスイングジャズ、もっと知りたいと小田さんにベニー・グッドマンのレコードを借りて聴く内に益々のめりこんだ。

もはや大衆だの芸術だのどうでもいい、なんだこの楽しさは、こんな演奏をしたいという思いに駆られた。