マスターAさんー3

マスターAさんの店はスポンサーがいらして、趣味でジャズピアノを弾くほどの音楽好きでお仲間の会を開くなどして応援し、私の出演日にもよくお越しになってくれた。

 

ライブは夜7時過ぎから11時半までだが、大抵、9時過ぎてご常連がお帰りになるとマスターと二人きり、会話の合間に弾き語りの練習、11時過ぎまでいて「お疲れさん」だった。

マスターの出身は富山県、私は福井県で北陸同士の親近感もあった。

富山県に行く仕事が増えてきた時期で、私の土産話を「あぁ、あの街も変わっただろね」と懐かしそうに聞いていた。

この頃、弾き語りのレパートリーと仕事が増えて行った。

このブログの前身である「日記帳」に、北村英治さん、水森亜土さん、私リーダーライブ、演奏旅行など、盛況で活気ある話題を更新したが、この店のことは「静かな大人の夜だった」などと言葉選びに苦労した。

 

店が六本木から赤坂に移転して1年ほど経った2009年、スポンサーの方が50代半ばでお亡くなりになった。

支援がなくなって、毎月の家賃支払いに苦労していた。

ある日店に行くとマスター「今日家賃やっと払えた、ほっとしたー」、「そら良かったね」と会話した後、お客様来店し「マスターお久しぶり」、マスターいきなり「〇〇さん、今日やっと家賃払えたんだよ」

それ、久々のお客様に言うか、だったが、余程ほっとしたのだろう。

「俺って客商売に向いてないよなぁ」と独り言のように言っていたが、ある日「もういよいよ限界なんだ、高浜くんも来月一杯で、ごめん」と頭を下げた。

 

行かなくなって3~4ヵ月経って、仲間から閉店したと聞いた。

その後しばらくして携帯にかけたが出ず、今もご健在であればと思う。