20代半ば頃に歌に興味を持ったが全く技量なく、ならばコーラスをと仲間と組んだグループで10年間活動した。
解散後に弾き語りを練習したがコーラスと違ってどうにもならず、弾き語りも軽くこなす自分に強い憧れがあった。
理想が「軽くこなす」だから「歌の練習なんかしてません」と言いながら実は練習したが一向に上達せず、ピアニストが突然歌えば下手でも意外性で受ける程度だった。
45歳で北村英治さんの共演が始まると「コーラスやってたから何か歌ってごらん」と言われて、これは意外性じゃ済まないぞと練習また練習、お陰で50歳過ぎて弾き語りの仕事が頂けるようになった。
弾き語りがお客受けするし仕事も広がるしで、歌わない日が年に2~3回ということになる、憧れた自分に限りなく近づいた。
北村さんという世界的アーティストとの出会いがなければ、ここまで努力しなかったと思う。
今年になってコロナで4月からほぼ休業となり、7月から久々に「俺の」シリーズ出演が再開したがマスク着用とのことで歌わずピアノ演奏のみ。
ピアノだけのステージでも十分お客様が楽しんでくれる、歌わぬ演奏に喜びを感じ、歌いたい欲求も起きない。
ステージで常に「ピアノのついでに歌ってます」と言ってきたが、それなりに歌も聴くに堪えるレベルを理想としてきて、弾き語りが日常仕事となっていた、なのに歌わなくても平気な自分に、やっぱり歌は「ついで」でピアニストなんだと、そんなことを思う今日この頃。
明日は思い出しシリーズ再び。