昨日「俺のフレンチ横浜」にソロ出演。いつもほどお客様入っていなかったが、ピアノは良い状態で演奏していて気分良かった。
社の要請でマスク着用は続いていて、以前は必ず弾き語っていた"Fly me to the moon"、 "On the sunny side of the street"、もソロ演奏でノリノリ、それにお客様の反応、人前での生演奏に気持ちが高揚する。
以前当たり前だったことが何倍もの喜び、その以前に戻る日は何時だろう。
冷たい8-最高のステージ
昨日からの続き、10年前の8月、北海道でのジャズフェスは午後の気温も高くなく風も爽やかだった。
海辺の大きな倉庫跡が会場で、窓や各出入口は全て暗幕でふさいで暗い異次元空間を演出。
冷房はなく焼きそば屋台などで火も使うので外気温よりかなり上がっていたが、まあまあ普通に楽しめた。
午前中から数グループ出演し皆さんアロハなど軽装で、北村英治カルテットのスーツにネクタイを場違いに感じながら、外の控え所で出番待ち。
前のグループがステージ終えて暗幕の中から出て来た。
「お疲れ様」と声をかけると、冷たい水を一気飲みし「プハーッ、死ぬかと思った、ステージ半端ない高温でやばいっすよー!」と。
舞台が高い位置で会場の熱が溜まる上に照明熱で「多分40℃はありますよ。俺たちの前に出た若手の〇〇さんが体調を悪くしてあっちで横になってます」
えーっ!若手がダウン、北村さんこの時81歳だった。
私「せめて上着は脱いだ方が」、北村さん「うーん、そうだねぇ、ま、このままやって、余程辛かったら脱ごうかねぇ」、そ、そんな・・・。
ステージに上がるとそこは灼熱異次元空間、演奏開始、北村さん倒れないか、自分は弾き語りで倍のエネルギー使うけど大丈夫か。
不安と緊張の中、北村さん全くいつも通りで一切の乱れなく40分ステージ、スーツ着たまま無事終了。
私が経験した過去“最高”のステージだった。
ひとこと
この話は単に忘れられぬ思い出として、熱中症など批判的意図のないことから都市名は伏せ、各地ジャズフェス関連の方々への感謝と敬意を持って書かせて頂きました。