芸事13-非日常

60年代はテレビが普及し、ボサノバ、ビートルズ、ニューシネマ、ヌーベルバーグ、米ソ宇宙開発など、次々と新しいものが生まれた。

それまでの常識にないものに価値を見出そうという風潮からか前衛芸術も流行った。

 

画家のダリやルネ・マグリットも健在で、少年の私も好きになって「超現実主義」(シュールレアリズム)という言葉をカッコ良く感じたが意味は分かっていなかった。

言葉の意味は「超」現実だから突き詰めた現実なのだが、少年の私は現実にないSF的世界で「非現実」「現実逃避」とごっちゃにしていた。

 

そういう難解なものに興味を持つ一方で、モネやフェルメールなど癒し感溢れる絵画も好きで、音楽ではボサノバ、カントリー、ラテンなど幅広くバランスはとれていたのだが、随分後になって祖母から「あの頃、この子はおかしくなるかと心配した」と聞かされた。

この頃油絵も描いていたので、ダリの絵画「内乱の予感」を模写して壁にかけ、どこで買ったかインドの香を焚いてラビ・シャンカルシタール演奏のレコードをかけ、ラジオの「北京放送」で文革情勢を聞く、こんな少年がヒッピーに憧れて家出するなんて話もあり得る時代、祖母の心配はよく分かる。

 

私の精神バランスがとれていたのはバンド活動のお陰かと思う。

高校時代にロックバンドでベースを演奏していて、休日には町のイベントやライブハウスなど各所出演でそれなりに自己表現の発露があった。

ライブハウスと書いたが、70年代に入った頃はまだその言葉は馴染みなく、『ゴーゴー喫茶』は既に流行遅れの感あり、店の看板にはただロック生演奏と提示してあった。

マチュア仲間で「プロ演奏家はドラッグは常識らしい」と話していたが、周囲に実践した人はおらず私自身は全く興味がなく、音楽志向はロックからジャズにのめり込んで演奏家に憧れて上京した。

プロ演奏家はドラッグが当たり前なのかという先入観は消えぬまま、現実にジャズピアニスト生活が始まってみると・・・、続く。