水森亜土さんとの共演が始まった頃、ある新聞社の知人を介して高齢者入居施設でのコンサートを依頼された。
予算から音響の手配等々全て私が任され、亜土さんとトリオをおさえて音響手配。
近隣の一般客も受け入れるので地域の新聞に掲載、亜土さんとトリオの写真とプロフィールも送った。
準備を全て終えると新聞社知人から「高浜さんのお陰で全てが整いました。3か月先の本番を楽しみにしてます!」、電話の向こうに笑顔が見えるような声に私も充実感で満たされた。
その翌日だった、電話が鳴って出るといきなり「あ、あのね・・・、あ、あたし、い、いま倒れそうなの」亜土さんの声だ。
「えっ!体でも悪いの?!」と聞き返すと、「そ、そうじゃなくて・・・」。
1年前に九州のジャズ演奏家に呼ばれてひとりで行く仕事を受けたが、その後連絡なくキャンセルだと“思い込んで”いたら確認の連絡が来た、それが高齢者施設の日で日程変更できないかと。
こちらは新聞掲載も決まっているから無理だと言うと、九州もチラシ印刷し集客もして日程は変えられないそうで、「ねぇ、お願い、何とかならない~」。
慌てて知人に伝えると、「えーっ!もう原稿が印刷に、とりあえず連絡しますから待って下さい」
緊迫した声に私は針のむしろ状態で待つこと3時間。
電話が鳴った。
「ぎりぎり印刷止めるのに間に合いました!これから日程変更に取りかかりましょう」
「すみませんでした!」と何故か私が謝って、日程変更して無事本番終えた。
共演初期の”ちゃぶ台返し”、この後数えきれないほど経験しようとは・・・続く。