方言南北

昨日、銀座ジャズ&バー「エムズ」、初来店のお客様は40代前半の男性。
那覇市の出身と聞いて、先日お会いした同県出身のギタリストから、琉球方言をあまり使わず聴いても十分理解できないと聞いたと話すと、「私も同じです」と。

お年寄りと一緒に育っていないと方言は理解が難しく、那覇などの都市部では方言での会話はほとんどないそうだ。
沖縄本島でも地域による方言の違いもあって、
「正月などで親戚同士が集まると、お互いの会話に出る方言を、”それどういう意味?”と聞くことがあります」。

この話はよく理解できる。私と家内は共に福井県北部の嶺北地方出身で、育った町も20km余りしか距離がなく方言もほぼ同じだが、幾つか違う単語がある。

以前、仕事で那覇に2泊した時も全く方言を耳にしなかったのは、標準語化しているからだったのか。
これと全く逆の体験が、バンジョー奏者・永生元伸さんの郷里、青森県津軽地方に行った時。

地元の方が私たちに話すのはごく普通に標準語なのに、ひとたび方言で会話が始まると全く何の会話か理解できなかった。

先日、この話を秋田県出身の方にしたところ、「津軽弁は私たちも全く分からず、東北方言の中でも特殊なんです」とおっしゃっていた。

その方が東北全般に名詞の終わりに「こ」がつく特徴を話されていた。
童謡の歌詞にも「どじょっこだのふなっこだの」というのがあるので知ってはいるが、何にでも「こ」が付くわけではないそうだ。
ここで面白いのが中国語との不思議な類似性。

中国語も終わりに「子」がつく名詞が多い。
発音は「ツ」だが、例えば「桃子(タオツ:もも)」、「栗子(リーツ:くり)」、「児子(アールツ:こども)」。
短い1音節に「子」をつけて2音節にして安定感を生むのだとか、東北方言も同じ理由なのだろうか?

かつて山野を隔てて人の往来も少なかった時代に、各地域独特の方言が形成されていったことは想像できるが、これほどメディアや交通が発達した現在も方言が残る事を常々不思議に思う。

などといいつつ、本日も銀座、「俺の割烹」 「俺のフレンチ・タブルタク」 掛け持ち
ソロ弾き語り出演。