昭和のお笑いとジャズ

今日のブログは「昭和のお笑いとジャズの関係」、マニアックな話題で世代的にかなり上の方ならご理解頂けるかと思いますけど、その辺りはご勘弁を願っておきます。
 
大正末期から昭和に入る頃の浅草は芸能の発信地だったそうだ。
それはジャズが世界的に広まってゆく時代で、モダンな感覚を貪欲に芸に取り込んでいったのだろう。
 
昭和の喜劇人としてエノケンは有名で、「ダイナ」「ルイーズ」「アラビヤの唄」など多くのジャズソングを日本語歌詞で歌った。
 
同じく有名コメディアンの古川ロッパは映画の中で「ティピラリーへの道」を歌っている。第一次世界大戦中に流行った英国の歌で、日本では大正時代に浅草レビューで歌われた。

ロッパ氏は「ティピラリー」を「ティパレーリー」と歌っていて、ネイティブ発音の録音で覚えたのだろう。
米国でディキシーランドジャズの定番曲となって、今なお日本のジャズライブで聴くことが出来る。
 
随分以前、知人から「川田晴久とあきれたボーイズ」のカセットを頂いた。
戦前から活躍し、お笑いにギターなど楽器で洋楽や浪曲などを取り入れた「ボーイズもの」の元祖。
 
録音年など全く資料がなかったが、台詞から戦時中のラジオ用と思われる内容で、「そなたは別れた乳兄弟、おおミルクブラザーズ!」と台詞があり、ギター伴奏で「旅愁」(更け行く秋の夜~)をスイングリズムでコーラスする。
米国有名ジャズコーラスの『ミルスブラザーズ』のもじりと思われ、川田は「ミルクブラザーズ」というグループもやっている。

使用するギターもスイングジャズ時代の楽器(ギブソンフルアコ、サンバーストとか)が、その後の「かしまし娘」などに継承された。
 
お婆さん落語で有名だった故古今亭今輔師匠は、新作落語で、「私の青空」を、♪ゆうぐれにぃ~、ジャンジャンジャカジャカ♪ と、ジャズ風合いの手を入れながら歌うところがあった。
お婆さんの原爆に関連したジョークがあって、被爆者から批判され師匠が謝罪した新聞記事を記憶している。
 
今に至る昭和のコメディーやお笑いが形成されて行った時代は、世界的なスイングジャズ全盛期に重なる。
そのスイングジャズがあまりに大衆化したが故に、音楽的進化を求めてモダンジャズへと変化したことは芸術の必然性とも言えるが、以後はお笑いへの影響もなくなった。
 
私はそのスイングの持つ大衆性、娯楽性(エンターテイメント)が好きであり、演芸好き趣味にも通じている。

こんなブログを読んで面白いかどうか分からないけど、お読み頂いた方には感謝致します。