私と家内は福井県出身者で、長い東京生活にも関わらず互いの会話では方言のままだ。
福井弁は「~したらあかん」「~するんや」と関西系列ではあるが、関西弁とはアクセントが異なり、関西に行っても関西弁を話せる訳ではないので標準語のままである。
日本語の歴史として関西弁は千年以上前から大きな変化はないそうだ。
かつて奈良や京都が都だった頃から話されていたが、その後江戸が中心となって、明治以降に東京の山の手の言葉を中心に標準語としたそうだ。
以前から不思議に思っていたのが、芝居などの老人言葉。
例えば、忍術とか魔術などの修行を積んだ若者に師匠の長老が「もう教えることは何もない、さあ行くのじゃ」などと。
福井弁でも「~じゃ」は使うので方言のようでもあるが、標準語ばかりの芝居の中に何故老人がこういう言葉を使うのか。
不思議に思って検索したら、こんな解説があった。
「古来日本語は関西言葉が主流だったが、江戸中心となって関東言葉が主流になった。しかしその後も芝居などにおいて、物知りの長老などを表現する言葉として西の言葉が残ったもの」
はあ、そういうことか。西から東に文化の中心が移った名残とは。
現在のアニメなどでも多分使われていると思うが、そのルーツに300年以上の歴史があるとは驚きだ。
さて、本日は「俺のイタリアンJAZZ」「俺のやきとり9銀座丁目」掛け持ち
若手ベーシスト、ドラマーとのトリオ編成で出演。