楠堂(なんどう)さんの話

一昨日、青森の仕事でご一緒したドラマー楠堂浩己(なんどうこうき)さんは、薗田憲一とディキシーキングスの最長在団メンバーでもある。
以下、親しみを込めてコウちゃんと表記する。

私より4歳上だが、お互いが30代の頃にクラリネットの花岡詠二さんのグループで初共演して以後、かなり頻繁に共演した。

ドラマーとしても素晴らしいが、彼の育った環境に大きな興味を持つ。

大阪に生まれ両親を早く亡くし中学生から実姉の家で育つ。
姉の御主人、つまり義兄は上方落語家・露の五郎さんだった。

関東の方には馴染みが薄いだろうが、福井県育ちの私は少年時代に関西系テレビ番組でよく見た有名落語家のお一人で、艶笑噺を得意とする芸風だった。

当時若手の三枝(現:文枝)、仁鶴などの師匠連もよく家に来たそうだが、中学生のコウちゃんの家庭教師として、なんとあの桂枝雀さんがいた。

昭和の終わる頃だったか、東京の歌舞伎座で独演会を開くほどの人気だった枝雀さんが、まだ小米(こよね)と名乗った時代。

コウちゃんの英語の先生で、小米さん「大きな声で私の後について言って下さい、アイハブアペン!」
復唱すると、「声が小さい、もっと大きな声で!」と、かなり大声で復唱。
コウちゃんとしては普通の民家なのに大丈夫かと気になったそうだ。

ひととおり済むと「はい、じゃあ、この後は小噺を教えましょう」と、これも、大きな声で復唱したそうだ。

露の五郎さんも枝雀さんも故人となられたが、私にとってはそのような有名上方落語家との親密な接点があったというだけでも、ドラマー以外の敬愛を抱いてしまう。

彼のドラムソロにおいて、お客にアピールし思わず笑いがこぼれる部分に少年時代培われた資質を感じる。

さて、本日は東西文化を超越した、天然由来おとぼけ成分炸裂、水森亜土さんとの月例ライブ、銀座「シグナス」出演。