その会長ミシェルさんが震災の前年に来日され、年明けにジャズフェスの予定ありということで、当時の観光局長Sさんに相談したところ北村英治さんとなった。
ところが年明けに現地で台風被害がありジャズフェス中止となったが、その後に日本での大震災。
私達は震災の翌日から先の予定キャンセル連絡ばかり、連日休日となっていたところで、訳も分からず飛んだ訳だが、我々はどんなところかも知らない南洋の人々がこんなにも日本の為にという感動を受けた。
その翌年も日系人移民120周年記念イベントで呼んで頂いた、その企画で仏語「枯葉」を教えて頂いた。
その3年後の2014年、知人の企画で私がリーダーのグループで台湾台北市に行くことになり、偶然のことにコンサート当日が3月11日だった。
震災で世界中から届けられた援助金、なかでもが台湾が最も多かったと知って、中国語でその例を述べた。
ジャズ演奏家としての震災に関連した思い出。