二足のわらじ

「二足のわらじ」という言葉がある。

時代劇だと表向き岡っ引きが実は裏で悪い連中と通じているような時に使うから、本来良くない意味なのだろうが、昭和の頃は異なる仕事を兼業するような意味で使っていた。
 
随分前の話になるが、ある先輩ベーシストは演奏の傍ら音楽事務所もされていたが、その後イベント会社を設立、何年ぶりでお会いした折に、「ベースは全くやめたよ。二足のわらじは履けないからね」と、おっしゃっていた。
 
子供時分は下駄を履いている人を良く見たし、私自身も履いていたことがあるが、通学に履くことはないのに「下駄箱」に違和感も持たなかった。
「靴箱」という言葉もありながら、今も子供もネット通販サイトでも「下駄箱」が生きているのは不思議。
 
わらじは下駄よりも日常に少ない履物だが、「二足の靴」だと比喩的表現にならなくて具合悪い。
 
演奏家で全く別の楽器も演奏出来る人は「二足の草鞋」かもしれないが、私はピアノと歌の弾き語り、時にピアノ演奏だけの仕事はあるが、ピンで立ち歌(一人立って歌う)はないから、「一足半のわらじ」?・・・なんだか中途半端で己の未熟な部分を自虐的に反省するようで、どうも良くないな。

さて、本日はピアノと歌で、銀座「スイング」。北村英治さんのライブに出演します。