台北ステージ6-いざ本番

3月11日、本番の日を迎えた。

会場入りはお昼過ぎなので、午前中は台湾初訪問のバンドメンバーを観光に案内。

超高層ビル台北101」はドバイのビルに抜かれるまでは世界最高だった、以前は最寄駅から数分余り歩いたが、その後ビルの下に駅が出来ていた。

地下鉄は新しく乗り換えも便利で快適、皆で展望台観光しホテルに戻って昼食、会場へ。

 

市中心部「民権西路駅」にある「バッハホール」は200余りの席数でクラシックコンサートが多い、ピアノはスタンウエイ、ステージはさほど高くなく客席と一体感あり、トリオにクラリネットはおあつらえの広さだった。

(たまたま紹介動画を見つけたので下に貼ってあります)

音響とレンタルのドラムとベースアンプも問題なく、リハーサルは滞りなく済んで本番。

楽屋から客席を覗くと前列にずらりと日本からの親しい方々、なんだか安心する、正に応援団である。

席は後方までほぼ埋まり中高年世代が多い。

 

開演時間となり、Sさんが英語でコンサートの趣旨と東日本大震災への義援金のお礼と黙とう。

トリオでステージへ「ブロードウエイ」演奏、「私の青空」弾き語りと続いて、日本語で「こんばんは、東京からまいりました高浜和英ジャズバンドです。本日はごゆっくりお楽しみ下さい」・・・日本人以外のお客様は無表情で固まる。

ここでいきなり「大家好!(ダージャーハオ!)」(皆さんこんにちは)と言った途端、ワッと和んで「ニーハオ!」の声、一言でこれほどの反応かと驚く。

先ずは作戦成功で、ここからは中国語と時折日本語でトークして演奏。

トリオとクラリネットで演奏は快調でお客様の反応も良く第一部終了、「ここから休憩を頂きます、皆さん家に帰らないで!」に大きな笑いと拍手。

さて、この後の山場が無事に越せるか・・・。

 


Taipei Bach Recital Hall

 

 

台北ステージ5-いよいよ台北へ

映画「カサブランカ」の”As Time Goes By”、”Fly Me To The Moon”など日本でリクエストの多い曲は台湾でも同じだと聞いた、他にも手慣れた曲を、アンコールは、最後の言葉は・・・とうとう全部一人でトークすることに。

常に台本を携帯し道を歩きながら運転しながら、練習の甲斐あってお二人の先生からオーケーを頂いて、Sさんに「司会者なしで」と連絡。

到底無理とあきらめたかけたことが、なんとかなりそうになった。

せっかくの機会だからと親しいお客様にご案内すると何人もの参加希望を頂き、2014年が明けてからはあっという間だった。

 

3月10日早朝は気温5度と真冬の寒さで、南国台湾へとはやる気持ちで成田空港へ。

Sさんは先に現地へ行かれていて、私、酒井一郎、八城邦義、熊倉未佐子4名でエバー航空搭乗。

3時間40分のフライトで台北に着くと南国の予想に反して寒く、しまい込んだダウンジャケットを出して、Sさんが手配してくれた迎えの車に乗り込んだ。

ホテルにチェックインして、タクシーでSさんとの待ち合わせ場所に向かった。

 

Sさんは現地で協力してくれた方を紹介、60代で日本語も少し話せる、お茶とマッサージの店を経営されていて音楽関連業務ではないが、親友Sさんの為に会場から集客など強い味方になってくれた。

バンド全員で足裏と全身マッサージを受け、夕食、手厚い接待を受けた。

全て順調で、やれるだけの準備はしてきたつもり、しかし、トークが意味不明でお客がしらける情景がふっと浮かぶ、この期に及んでだが、本当に一人で大丈夫か・・・。

銀座俺の2店舗 / 台北ステージ4-感謝とジョーク

昨夜、銀座「俺のイタリアンJAZZ」「俺のやきとり銀座9丁目店」、ソロピアノで2ステージづつの掛け持ち出演。

今月中はマスク着用で歌わないが、「イタリアン」お客様の反応良く、演奏がノッて来ると呼吸も大きくなり息がちょっとしんどい。「やきとり」はかなりの盛況だった。

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台北ステージ4-感謝とジョーク

2013年の夏が過ぎる頃、台北公演日程が来年3月11日で決定した。

偶然のことだが東北大震災から3年目に当たる日、世界最高額の義援金を寄せてくれたのが台湾だった、これは日本人としての感謝を述べない訳にはいかない。

話すことが増えると更に欲が出て、普段のステージのようなジョークも盛り込めないか。

語学レベルは低い、その場の必然性もないと笑いにならない・・・そうだ!、20代前半の熊倉さんと私は親子以上の世代ギャップ、これで台本作ってみよう。

 

第二部、熊倉を迎えてデュオでタイトル告げず「里の秋」演奏

高浜「みなさんご存知だったでしょう、テレサ・テンが歌った『又見炊煙』です。この曲は昔の日本の童謡で私は小学校で習いました。(日本語で)熊倉さんは?」

熊倉「知らない曲でした」、世代差を感じるアピール、熊倉ステージからはける

高浜「私は今年59歳になりますけど、こないだ同世代の家内がテレビを見ていた

“ちょっと、あなた、この人何てったっけ、えーっと、名前が思い出せない”

“えっ?、ああ、この人知ってるよ、有名じゃないか、この人、有名だよ、うん、誰だっけなぁ・・・”

家内が出かけようとするから、“どこ行くの?”と聞くと、“あそこ”、“どこ?”、“あそこったらあそこよー”夫婦の会話は、あれ、これ、あれこれあれこれ・・・もう、わけが分かりません。

 

話の基本は好きな落語、中国語にして先生お二人に聞いてもらったら「これ絶対受けますよ、言ってることも全部分かります」。やったー!、何だか面白くなって来た。

定例再開 / 台北ステージ3-二人の先生

本日は銀座「俺のイタリアンJAZZ」「俺のやきとり銀座9丁目店」、それぞれ2ステージづつ出演。

定例デュオライブ、今年2月以降お休みしておりましたが8月8日(土)より再開。

小さなお店にてコロナ対策として10名様限定、二部入れ替え制でお送りします。

詳しくはこちら定例デュオライブ をご覧ください。

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台北ステージ3-二人の先生

中国語サークルは家から近い公民館分館で、参加者は私の他に男性1人と女性2人で皆さん世代は近かった。

先生は大連出身、ご主人が日本人で日本語は流暢、主婦の傍らサークル講師、初級レベルだが忘れかけていた言葉に触れることだけでもありがたい。

 

先生はとても穏やかなお人柄で、台北公演の話をすると「お役に立てることがあれば何なりと」。

もう一人専門的に音楽が分かる人がいれば心強いが、チェン・ミンさんは共演もなく忙しそうで頼み難い・・・こういう時は不思議と出会いがあるものだ。

チェン・ミンさんのお父様も二胡奏者で、久々にお会いして共演ライブをやることになり、赤坂にあるマスターAさんの店で「ジャズと二胡の夕べ」。

お父様がライブの手伝いに中国人留学生をお連れになった。

上海出身で東京芸大作曲科に在学中、ピアノやキーボード演奏でのステージ経験もある、あ、この人なら若者の感覚も参考になる。

サークルの先生は40代、そして若き留学生、それぞれに指導をお願いした。

 

Sさんから「お客は中高年が多くジャズファンというわけでもないから、分かり易い曲も入れてもらえれば」と言われて日本と中国の曲から選んだ。

日本の童謡「里の秋」、私が好きな曲で、中華圏ではラブソング「又見炊煙」として知られる。

中国曲「夜来香(イエライシャン)」、「何日君再来ホーリーチュンツァイライ)」の2曲は、2000年にチェン・ミンさんとの上海公演で、歴史的な理由から日本人バンドの演奏NGだったので今回リベンジ。

この3曲は台湾のスター歌手テレサ・テンが歌って80年代に大ヒット、先生お二人に伺うと「若者からお年寄りまで知ってます」、これは台北の人に喜ばれるに違いない、自分の言葉で語りたい思いが益々強くなった。

 

台北ステージ2-司会者

Sさんの会社は印刷関連で世界各国と取引があり、中でも台湾に毎月出張していた。

「音楽関連の知人もいなくて手探りだけど、台北でライブ出来ないか当たってみますよ」と連絡頂いてから3か月ほど経ったある日、「来年(2014年)の春で決まりそうだ」。

実現に一歩前進で喜んだが、Sさんとその周囲に音楽関係者がいないので、私が思い付く確認事項を書類リストにした。

国外で出演料を伴う演奏の法的認可と著作権、会場の大きさに応じた音響機材と楽器の手配など。

リストを手にSさんは台北に出張、現地社員の協力も得て確認事項を順にクリヤーして連絡をくれた。

「会場は200~300人のホールで、集客も現地の友人が引き受けてくれた」

外堀は埋まった。後は私のステージ構成で、司会者はと聞くと「オフィスの中国語が話せる社員に頼むつもり」。

 

曲紹介「次の曲は1940年代、アメリカの楽団グレンミラー楽団が演奏した〇〇です」は練習すれば私にも話せるが、それだけではステージトークとはいえない。

あいさつから始まって演奏、メンバー紹介と自己紹介、ちょっとした話題ありジョークあり。

これを社員さんにお願いするのは難しいだろう、ならば私が、いや、そら無理、元々初心者的レベルだし話さないから言葉も忘れかけているし、自己能力の何倍もなんてことは到底・・・でも・・・。

中国語でトークする自分を想像して顔が緩んだすぐ後に、お客様が意味不明でしらける風景にぞっとして首を振った。

語学スクールの案内も見たが、以前少し話せたという思い上がりもあってためらった。

ちょうどそんな頃、市報に「中国語サークル参加者募集」に目が留まった。

台北公演までまだ時間はある、行ってみるか。

 

青山夕景 / 台北ステージ1-Sさんとの出会い

昨日、約3ヵ月ぶりで「俺の」シリーズ出演。

「俺のフレンチ・イタリアン青山」はコロナ感染拡大で5月~6月の休業経て、客席を以前の6割ほどに減らしてオープン。

店長「休業中にピアノをオーバーホールしたんですよ」、苦しい時にも関わらず音楽に力を注いでくれること、出演者として心から感謝したい。

「出演者もマスク着用」で歌なしピアノソロ、「取るのを忘れたんじゃありません」とお断りして、「スマイル」「いそしぎ」「インディアナ」など快調、ランチから夜まで、若い世代のお客様で席は埋まった。

19時頃、ビルの谷間に見えた夕焼けが美しかった。

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台北ステージ1-Sさんとの出会い

2008年頃だったと思う、あるライブ出演中にお客様が名刺を手に自己紹介された。

Sさんは会社経営者、本社は静岡市で東京のオフィスと行き来、音楽好きでクラシックなどのコンサートを地元静岡で主催、「あなたの演奏を是非静岡でも」。

 

2009年春、静岡市で「高浜和英トリオ」でのコンサート、その後も東京都内各所ライブにお越しになってくれて、翌年も、そして「また来春も」。

ところが、2011年3月11日、東北大震災が起こりライブやイベントが次々中止になった。

静岡の予定は4月、Sさんから連絡あり「こちらに被害はなかったが自粛の意見はある、でも、こういう時こそ下を向いちゃいけないと皆を同意させた、来てください」、涙が出る程ありがたかった。

 

翌年、都内のライブにSさんが来られ、たまたまこの時、大学生のクラリネット奏者を紹介し何曲か共演。

クラリネット奏者の熊倉未佐子さん、高校時代にライブハウスでスタッフアルバイトをしていて、マスターが「北村英治さんのCDを聴いてジャズクラリネットを目指している」と私に紹介。

大学進学後は谷口英治さんに師事し、めきめき腕を上げていた。

Sさん「こんな若い人がスイングジャズを演奏するのが嬉しい」と静岡に呼んで頂き、ここで熊倉さんは初めて「シングシングシング」を演奏した。

 

しばらく経ってSさんから「台北に関連会社があって毎月出張しているんだけど、高浜さんトリオに熊倉さんが入ったライブが出来ないか考えている」と連絡を頂いた。

台北は2006年に家内と観光に行ったきりで、大いに期待した。

中国語を話す機会がなくなって数年経ち徐々に忘れかけていたが、実現したらあいさつ程度はしてみたい、と思っていたのだが。 

3ヵ月ぶり「俺の」

コロナの影響で飲食店の客足が落ち始めたのが2月末、3月はなんとかなったが4月1日に「俺のイタリアン東京」出演したのが最後で翌日から休業に入った私。

6月は銀座「スイング」2回出演のみ復活して、本日から「俺の」シリーズ出演が再開、約3ヵ月ぶりとなる。

と言っても、ランチタイム1回、ディナー2回ステージ、その間が5時間半という変則的な出演時間で、その一旦帰宅することになるだろう。

休んでばかりの日々で急に続くのもしんどいかと思う、ぼちぼち小出しにという感じでもいいか。

お店も多分感染予防策でテーブル配置など以前と違うこともあろうかと思うし、ステージも今月中はマスク着用とのことで歌わずにピアノソロのみとか、行った様子で考えよう。

 

「定例デュオライブ」も8月8日より復活するが、「密を避ける」は当分継続しそうで人数制限するか、となると2回に分けてやるかなども考えている。

このブログも過去を綴るシリーズとなったが、また、明日か明後日から新シリーズの予定です・・・と、予告するほど、まだまだ演奏活動再開といえない日々は続くのであります。