戦争体験のお話しー2-

先日(6月23日)のブログに、北村英治さんと慶應時代の同窓生、那須さんのお二人から伺った戦時体験の続き。
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太平洋戦争当時、お二人は慶應義塾商工部に通う多感な中学生。
世の労働力不足から、学生も授業中止となり「学徒動員」によって様々な勤労奉仕をした。
那須さんは「英語の教科書がジャックアンドベティというやつで、英語って面白いなあと思い始めたら、動員で授業は中止になってね」
北村さん「家を壊しに行ったんだよな」
那須さん「そうそう」

当時は木造住宅がほとんどで、空襲による延焼被害を少なくするため指定された家は強制退去させられ破壊、その仕事をお二人が経験された。

北村さんたち中学生何名かと指導の大学生が、東京の鎌田周辺に行ったそうだ。
大学生は建築科生で、指導によって大きな木槌で壁などを壊していき最後に大黒柱を倒すと土煙と共に家が倒壊。

那須さん「僕たちは中学生だったから言われるままに家を壊して、倒れた時はわーなんて歓声上げたんだけど、その大学生が、僕は建物を造る為に勉強しているのに壊すなんてと言ってたね」
北村さん「俺ん時なんて、脇で泣いてる人がいたんだよ。その人、そこに住んでたんだよな。一生懸命働いてやっと建てた家だったって。壊すのは貧しい家が多かったからねえ」
那須さん「でも、あんなことしても結局無駄だったんだよな。空から焼夷弾落とされたらが辺り一面焼けちまうんだから、家なんか壊しても全く意味なかった」
北村さん「本当に滅茶苦茶な時代だったな。」

お二人の話しを伺って、70年余り前も今も多感な中学生に変わりないと感じる。
いかに人が変わらぬものかと思うと、戦争は過去の人が起こしたなどと他人事とは思えず、昨今の日本の行き先も国民がしっかり見据えていかねばと思う。

さて、本日は、戦後の焼け跡をご記憶・・・してるしてないは内緒(?)の水森亜土さんとトリオの月例ライブ、銀座「シグナス」に出演。