昨日書いたチェン・ミンさんとの出会いは24年前の暮れ、銀座「シグナス」でクラリネット花岡詠二さんリーダーライブ出演中、加賀さんというプロデューサーと共に紹介された。
加賀さんは女優加賀まりこさん実兄、芸能プロデューサーでありかつて六本木でライブハウスも経営、出演した「薗田健一とディキシーキングス」のメンバーが花岡さんだった。
一方、上海出身のチェン・ミンさんは幼少期から二胡を学び日本に留学、ある日「上海バンスキング」のビデオを観て、その音楽を二胡で演奏したい衝動にかられ知人を通じて加賀さんと出会う。
「その音楽」とはスイングジャズで花岡さんに行きついたが、何故か御本人「この仕事全部任せる」と私に。
既にコンサート選曲は決まっていてジャズの他に日本と中国の曲も、中国音楽初トライの私、ジャズ初トライのチェン・ミンさん、互いの手探り創作が始まった。
1998年春に初コンサートを無事終え、同年秋に加賀さん企画で有楽町「よみうりホール」公演、その折チェン・ミンさんから定期ライブを相談され銀座「シグナス」に毎月出演。
グループ名「夢幻城爵士楽団」を考案し、CD制作、上海公演など、爵士(ジュエシー)は中国語でジャズ。
私は少年期に聴いた北京放送の異国興味が再燃し中国趣味にはまる、大陸からのラジオ電波が鮮明だったのは日本海側の福井だったから。