昨夜、福井市「シライハウス」出演、共演はベース北条琢生さん、そして当店創業者でアルト奏者の白井淳夫さん、昔話を伺った。
福井を出られて名古屋でプロ演奏活動、東京の知人から「宮間俊之とニューハード(東京の有名フルバンド)に欠員が出た」との誘いで28歳で上京。
私の上京年と同じ昭和48年、フルバンドオーディション受けたが合否不明なまま半年以上過ぎ、ある日突然参加の依頼。
この時代の有名フルバンドはテレビ歌番組、大店舗出演、録音など仕事は多忙で、その後「森寿男とブルーコーツ」に移籍。
フルバンド一員のみならずアドリブの腕が認められたに違いない。
昭和56年(1981年)は記録に残る福井豪雪、白井さんは両親の希望を受け福井に帰郷。
「もう何年か東京にいたかったんですけどねぇ、一人っ子だったんで親もほっとけない、それとフルバンドが斜陽に向かう時期だったこともあります」
日本が終戦後ジャズブームでフルバンドも多く誕生、昭和30年代末にテレビ普及で隆盛期となり、昭和50年代前半まで続くが娯楽文化の変化で急速に斜陽に。
録音も電子技術の発達で演奏家を多く雇う必要がなくなる時代、私も記憶にある。
白井さんが帰郷され1年目頃か、私は帰省の折りに知人紹介で初めてお会いした。
あれから40年、昨夜の共演でもやはり素晴らしい演奏家であると感服。