クレージーキャッツ

昨日、プライベートな会に「北村英治カルテット+キャロル山崎」で出演。
会場は目黒雅叙園、随分久々に行ったが、都内にあって広大な敷地と和を基調にした豪華な施設にあらためて感心。

リハーサルから本番まで長い待ち時間を控室で、北村さんが興味深い歴史話を聞かせてくれた。
「昔、ここ(目黒雅叙園)は中華料理店で、終戦進駐軍が接収した頃はホテルのような施設にもなってた。”オフィサーズ”が利用しててね、バンドも出てて、○○ってリーダーのバンドと、チェンジがデクさんのバンドだった」
私「あ、あのクレージーの曲書いた?」
北村さん「そうそう。そのバンドにハナ肇がドラムでいた」
私「ああ、そういうつながりだったんですか!」

「オフィサーズ」は将校クラスの軍人、○○はバンドリーダー名だが忘れました、悪しからず。
「デクさん」は萩原哲晶氏、クラリネット奏者から作曲家となって「ハナ肇とクレージーキャッツ」のヒット曲を書いた。

私も含めたカルテットのメンバーは50代~60代なので進駐軍時代は歴史の中の話で、ただただ「ヘー」だったが、クレージーキャッツの話題でやっと全員が知る時代になった。
ベースの山口雄三さんが、「植木等さんは、その頃から歌ってたんですか?」
北村さん「うん、歌ってた。ギターも結構うまかったし、歌も良かった」

クレージーキャッツ」はジャズ演奏家が集まってコメディもやる、大人気のグループだったが、個々人が俳優などで活躍するようになっていった。
後年まで音楽活動をやっていたのはトロンボーンの谷 啓さんで、私は「谷 啓&ザ・スーパーマーケット」のバンドメンバーとして、各地ステージやテレビなどの仕事をご一緒させて頂いた。

と、こういう話も分かり辛い時代かと思いつつ解説を交えて書いてみた。
さて、本日は横浜「バーバーバー」に北村さんカルテットで出演。