私の経歴2-理想のジャズ

-昨日からの続き-
ジャズコーラスグループ「ロミ&ジョーカーズ」を解散したのは37~8歳。ピアニストとしての仕事も増えていて、弾き語りもしたかったが、これが全くダメだった。

コーラスは決められたフレーズをメンバーで合せてハーモニーにするが、ソロ歌では基礎的な技術に加えて自由な表現が求められる。そのいずれも不足していた。

練習で歌えたと思い録音を聴くと下手さを痛感する。落ち込んだ翌日には、歌いたい一心でまた練習、その繰り返し。

ライブやソロ演奏において、日に1~2曲の弾き語りはあくまでも”隠し芸”。
努力していたようでも、所詮ピアニストだからという甘さがあったのだと思う

40代半ば、北村英治さんのライブ共演の話が来た。
北村さんが本番トークで「高浜はコーラスやってたよね。何か歌ってみないか」と。
ピアノだけでも緊張しているのに「えっ、まさか(汗)」だったが、お客からも拍手が来て後に引けず、"When you're smiling"を歌った。

多分、二度と歌えとは言われないだろうと、次の共演ライブに行くと、また「今日も1曲歌えよ」と。
正直、嬉しいよりも「これは大変だ、もっと上達しないと、レパートリーも少ないし」と、45歳にしてあせりを感じて練習に熱を入れた。

北村さんのレギュラーとなって、ピアノ演奏に関してアドバイスを頂いたが、「この曲を歌ってくれるといいんだけどなぁ・・・」と歌への要望が来るようになった。

それまで、隠し芸的に気の向いた曲だけ歌っていた私が、人様の要望に応える歌を覚えなければならない、「さあ、えらいこっちゃ」だった。

そのお蔭で、「ボナセラ」「チャタヌガーチューチュー」「この素晴らしき世界」、更にフランス語の「枯葉」、その他、お客様が喜んでくれるレパートリーが次々と増えた。

そんなこんなで、弾き語りとして日々の仕事がある今が、とてもありがたい。
随分と時間が掛かって、20代から一貫した理想「ちょっとお洒落でリッチな雰囲気のジャズ」に近づいた気がする。

還暦を迎えるが、未だ、ピアノ&歌、トークやレパートリーなどに未熟さがある。
これからの自分が楽しみである。

私が弾き語りに憧れた原点、マット・デニスの2枚のライブアルバム
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