私の経歴ー1 楷書ジャズ

20代から30代にかけて、「ロミ&ジョーカーズ」というジャズコーラスグループで活動した時期があった。
女性ヴォーカルとピアノ(私)、ベース、ドラムの男性トリオが演奏と同時にコーラスをやるという数少ない形態のグループだった。
 
男性トリオはプロ演奏家として数年のキャリアがあったが、歌は全くの素人だった。
それでも「人と違ったことをしたい」という受けたい根性と、「スタンダードジャズを多くの人に、楽しいと感じてもらいたい」との情熱から、アレンジとリハーサルに明け暮れた。
 
ジャズは20世紀の初頭に生まれて世界的に大衆娯楽音楽となったが、1950年代後半ロックやポップスが流行すると、ジャズは大衆娯楽と別方向へと進化。
 
ジャズスタンダード曲を楷書のように、整然と演奏するスイングやディキシーランドより、むしろ草書のように変形させたスタイルが好まれ、ともすれば楷書的ジャズは刺激がなくつまらないとさえ見られた。

衣装も同様で、それまでのスーツ&ネクタイから、ラフなシャツやジーンズなどが主流になった。

そんな時代、20代の若者だった私は草書的ジャズばかりもてはやされることに疑問を抱き、大衆娯楽としての楷書的ジャズを表現したいと思った。

グレンミラーなどのスイング時代には、演奏者が歌や掛け声などエンターテイナー的要素が強かったが、モダン時代に入ると寡黙に演奏するカッコよさから、ジャズ演奏家が歌うことは少なくなった。

そんな時代に逆行するような私の思いつきに賛同する仲間を得て、グループを結成しライブを開始。

衣装もスーツにネクタイで、グレンミラーやグッドマン時代の曲目を中心。
それを、あるライブハウスのマスターが強く後押ししてくれてレコードデビュー。
それほど売れたわけでもないが、少しはマスコミに取り上げられたり、全国各地へと演奏旅行も多かった。

このグループでのジャズフェス出演で、何度か北村英治オールスターズとご一緒させて頂いたことがある。
私は必ず舞台脇で北村さんのステージを拝見した。
演奏の見事さに加えて、ディキシー曲「アイスクリーム」では、北村さんと河辺浩市さん(TB)、光井章夫さん(Tp)が突然コーラスでハモる、その楽しさ、演奏家が歌うインパクトに興奮を覚えた。

グループの他に個々人が歌手や演奏家として仕事をしていたが、10年の活動を経てメンバー全員30代後半となり、それぞれ個人活動も大切にしたいと円満解散となった。

と、この続きはまた明日。

1983年 デビューアルバム「ロミ&ジョーカーズ」 左から、亜樹山ロミ 広田はじめ 私 枝川健
曲目:君微笑めば、アフターユーヴゴーン、イエッサーザッツマイベイビー他。
28歳になったばかりの私。若き情熱はあるが、今聴くと諸所未熟さが恥ずかしい。
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