マジでコーラス

1940年代までのジャズは大衆娯楽としてショーアップし、バンドが掛け声や歌うことも珍しくなかったが、50年代半ば以降ビバップ、モダンへと進化するにつれて歌手が歌い、バンドは楽器演奏のみが普通になった。

1982年、国分寺のライブ「アレキサンダー」のマスターに「ピアノトリオのコーラスは珍しい、マジでやってみろ」と言われて練習、出演することになった。

 

26歳になった夏、お盆で東京から人が少なくなる時期で馴染みの常連が10人ほど、ほぼ素人芸コーラスでの“被害”が少ない日を選んでくれたのだ。

トリオ演奏とヴォーカルで3回ステージ、コーラスは各ステージ1曲だったと思う。

終演後マスター「ヴォーカルと演奏はいいけどコーラスはひどいね、あれじゃあお金とれない」、しょせんトリオの歌は素人とシャレで笑って終わり。

ところがマスター「もっと練習して、2ヵ月後にまた」

まさかの”また”でシャレで済まなくなった。

その次の終演後「前よりマシだけど、まだお金とれない。練習してまた」

発声も知らず始めたので、トリオ3人クラシック声楽家のレッスンを受け、アレンジも工夫、当然ピアノの修練も。

 

「スイング時代のジャズ」「寄席とテレビバラエティー」の要素で、大衆性と高い音楽性でショーアップしたステージをやりたいと意欲が湧いた。

「寄席とテレビバラエティー」というのは、音楽漫才「かしまし娘」や「シャボン玉ホリデー」に共通するオープニングとクロージング曲のことで、日本語詞でジャズっぽいテーマ曲を作った。

若手演奏家はラフな服装が常識の時代に常にスーツで、バンド名も昭和が香るような「亜樹山ロミとスイングジョーカーズ」、バンドとステージングの形が整った。