マネージャーとコーラス

前日からの続き

「亜樹山ロミとスイングジョーカーズ」を結成して、私がコーラスのアレンジ、ほぼ3日おきにリハーサルの日々、ほどなくロミさんの弟が転職を機にバンドマネージャーを買って出た、27歳の私より二つほど若かった。

我々はそれぞれに活動していたが、このバンドとしての仕事は月に数本、とても専業マネージャーで食えるわけもなかったが彼なりに夢を感じたのだろう。

デモテープなど資料を手作りして精力的に飛び込み営業、ライブハウス、ホテル、イベントなど仕事と人脈が広がって、ある日レコーディングの話を持って来た。

 

当時、演奏家として世に示す形はレコード、自主制作よりも人様に評価されたかったが、これまで個人的に話があって消えた経験もあった。

何日か後、キングレコードのディレクターがライブにお越しになった。

川島重行さんは40歳越した辺りか、とてもきさくな方で、“When You’re Smiling” “After You’ve Gone” “Yes Sir That’s My Baby”などのスイングナンバーをお聴きになって「これはいける、是非アルバム作りましょう」と。

 

高度成長時代、大手レコード各社にジャズ制作部があって、川島さんはフュージョンのヒットアルバムを生んだ凄腕ディレクターで希望の予算が確保できた。

当初、我々4人とアドリブに管楽器入りくらい考えていたが、なんと、「アレンジャーを頼んでフルバンドのサウンドにしましょう、曲によって希望の楽器もフューチャーして」、夢のような企画。

1983年、夏も盛りに入って27歳が終わろうとしていた。(明日へ続く)