泊まる7-寝台列車北京へ

2002年5月 上海―北京1454km、寝台列車の旅の続き。

食堂車から戻ると私の指定寝台に上段の男性が座ってノートパソコンを打っていた。

私たちに気付いて「すみません」と慌てて立ち上がろうとする、「あ、いいですよ、座ってて」と言うとはにかんだような笑顔で座りなおした。

向かいの寝台に家内と座って、男性に「お仕事ですか」と話しかけると、「そうなんです、社長にメールしてたんです。もう終わりました」とパソコンを閉じた。

30代半ば、身なりもさっぱりとしてとても穏やか、北京在住とのこと。

男「貿易会社に勤めていますが、本社が上海なので出張はいつもこの寝台です」

私「あ、出張で、飛行機じゃなくて」

男「飛行機は2時間だけど味気ない、私はこの寝台列車が好きなんです」。

私たちが日本からあえて寝台列車の旅をしに来たと言うと、いっそう笑顔で「お二人はとても良い旅をされていますね!」と。

スマホのない時代で辞書を片手のカタコトながら、ジャズピアニストで少年時代にラジオの北京放送で中国に興味持ったなどの話しを興味持って聴いてくれた。

もう一人の上段男性は50代か、枕元のテレビにイヤホンで時折低く笑う。

22時半を過ぎてそろそろ休みましょうかと、その男性が上段に声をかけドアを閉め消灯。

 

予期せぬ交流に興奮して寝付けないが、寝なくてもいいと思っていた。

時刻表によると午前1時台「済南(ジーナン)駅」10分余り停車、風景を写真に撮ろう、その先で黄河を渡る、その感動いかばかりかと家内に話すと「私は寝てますからお一人でどうぞ」。

 

目が覚めて通路に出ると地上低く朝日が昇っていた。

ワゴンで朝食を売りに来たが私たちも上段お二人もスルー、7時に天津駅、そして終着駅北京に定刻8時到着。

かの男性「どうぞ良い北京の旅を」と笑顔で手を振って人の波に消えた。

駅出口に向かいながら家内に「ジーナンも黄河も分からず残念だ」と言うと、「そらそうでしょ、熟睡していびきかいて、上の人に迷惑かと起こそうとしたくらい、なにが黄河の感動よ」とあきれられた。