昨日、約3ヵ月ぶりで「俺の」シリーズ出演。
「俺のフレンチ・イタリアン青山」はコロナ感染拡大で5月~6月の休業経て、客席を以前の6割ほどに減らしてオープン。
店長「休業中にピアノをオーバーホールしたんですよ」、苦しい時にも関わらず音楽に力を注いでくれること、出演者として心から感謝したい。
「出演者もマスク着用」で歌なしピアノソロ、「取るのを忘れたんじゃありません」とお断りして、「スマイル」「いそしぎ」「インディアナ」など快調、ランチから夜まで、若い世代のお客様で席は埋まった。
19時頃、ビルの谷間に見えた夕焼けが美しかった。
台北ステージ1-Sさんとの出会い
2008年頃だったと思う、あるライブ出演中にお客様が名刺を手に自己紹介された。
Sさんは会社経営者、本社は静岡市で東京のオフィスと行き来、音楽好きでクラシックなどのコンサートを地元静岡で主催、「あなたの演奏を是非静岡でも」。
2009年春、静岡市で「高浜和英トリオ」でのコンサート、その後も東京都内各所ライブにお越しになってくれて、翌年も、そして「また来春も」。
ところが、2011年3月11日、東北大震災が起こりライブやイベントが次々中止になった。
静岡の予定は4月、Sさんから連絡あり「こちらに被害はなかったが自粛の意見はある、でも、こういう時こそ下を向いちゃいけないと皆を同意させた、来てください」、涙が出る程ありがたかった。
翌年、都内のライブにSさんが来られ、たまたまこの時、大学生のクラリネット奏者を紹介し何曲か共演。
クラリネット奏者の熊倉未佐子さん、高校時代にライブハウスでスタッフアルバイトをしていて、マスターが「北村英治さんのCDを聴いてジャズクラリネットを目指している」と私に紹介。
大学進学後は谷口英治さんに師事し、めきめき腕を上げていた。
Sさん「こんな若い人がスイングジャズを演奏するのが嬉しい」と静岡に呼んで頂き、ここで熊倉さんは初めて「シングシングシング」を演奏した。
しばらく経ってSさんから「台北に関連会社があって毎月出張しているんだけど、高浜さんトリオに熊倉さんが入ったライブが出来ないか考えている」と連絡を頂いた。
台北は2006年に家内と観光に行ったきりで、大いに期待した。
中国語を話す機会がなくなって数年経ち徐々に忘れかけていたが、実現したらあいさつ程度はしてみたい、と思っていたのだが。