バイエルとラーメン

昨日、初めて餃子を食べたのが18歳以降、そんなまさかと思う人がいるかもと書いたら、「そんなまさかでした」のメールを頂いた。

確かに昭和30年~40年、福井県芦原町(現あわら市)は温泉町ではあったが、中華料理店、ラーメン専門店はなく、そば、うどん、中華そば(ラーメン)が一つの店にあって、素うどん、ラーメンが50円から60円に上がった頃。

 

幼稚園だったから昭和36年か、銀行の二階に「ヤマハオルガン教室」がオープンして、母によると私が「行きたい」と言ったらしい、教室の風景と譜面を記憶している。

足踏みでない「電気オルガン」が何台かならんで、譜面は横長のイラスト入りカラー印刷、「ぶんぶんぶん(鉢が飛ぶ)」「茶色の小瓶」など子供向けの曲が大きな譜玉で書かれていた。

高級品のピアノより安価な電気オルガンの販売促進もあったのだろう、我が家は購入して小学校に上がった。

担任がたまたま音楽の先生で、初めてピアノを習うことになった。

週いちの放課後に音楽室で、私の他に同級生の男子1人と女子2人の4人。

「バイエル」から始まって、2年生になった頃に先生がオルガンでは鍵盤タッチが覚えられないからと言われて、親がアップライトピアノを購入、当時18万円で高価な買い物だったと思う。

 

先生は30歳くらいだったかの男性で、隣町から通ってらして声楽が専門だった。

ビートルズは音楽じゃないから聴いてはいけません」で、悪さをする子に厳しい罰を課す緩さのない先生だったが、ピアノレッスンは厳しくなく優しい目をされていた。

小学校2~3年のある日、レッスンで「みんなラーメン食べるか」と先生、皆「食べるー」というと、「ちょっとまってて」と電話をかけにいって出前をとってくれた。

皆で食べた黄色い錦糸卵が乗った「いとう屋」のラーメン、今も忘れられない。