北村英治さんは落語の生き字引的な方で、昭和の名人との交流も深い。
昭和4年(1929年)東京渋谷のお生まれで、通っていた小学校に三遊亭金馬(多分3代目)が来演、接待係を買って出てお茶を運ぶと、師匠が「ぼくは落語好きかい」と聞くと、「はい、酒なくて何の己が桜かな」と答えたそうだ。
私は福井県育ちで寄席もなく噺家に会う機会もなかったが、やはり小学生の頃にテレビやラジオで落語や漫才が好きになった。
先ほどの「酒なくて~」の他に「酒のない国に行きたや二日酔い、また三日目に帰りたくなる」、「お酒飲む人花ならつぼみ、今日もさけさけ明日もさけ」など、よく落語に登場する川柳や都都逸を覚えた。
お酒は子供でもあっけらかんとした大人の風景として想像できたが、色恋を歌った都都逸は難しかった。
最初に覚えたのが、「四国西国島々までも、都都逸ぁ恋路の橋渡し」で、「こいじ」はきっと小さな意地で何か大人の心情だろう程度の理解だったが、七五調のリズムが心地良く意味までは深く考えなかった。
恋心が分かる年になるとこんな都都逸を覚えた。
「この酒を 止めちゃいやだよ酔わしておくれ まさかしらふじゃ言いにくい」
「明けの鐘 ゴンとなる頃三日月型の 串が落ちてる四畳半」
「浮名たちゃ、それも困るし世間の人に、知らせないのも惜しい仲」
短い文句に溢れんばかりの恋心の機微、ジャズの小唄にも共通する粋を感じる。