芸事11-バンドマン

昨日、「俺のフレンチ横浜」にソロ出演。

何か月か前に来店されたご夫婦、ピアノすぐそばの席を予約されて「今日も楽しみにしてます」と。「コロナ対策でマスクをしていて弾き語りはなしですが」と告げステージへ。

「月光価千金」「フライミートゥザームーン」「この素晴らしき世界」などの演奏に人一倍大きな拍手を。多くのお客様もよく楽しんでくれて、気分上々で終えることが出来た。

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芸事11-バンドマン

北村英治さんが終戦直後にクラリネットを覚え、大学の池田弥三郎先生に相談した話。

北村学生「学生をやめてバンドの仕事しようと思います」

先生「そんなことで食っていけるのか」と。

北村学生「はい、月給300円もらえます」

先生「えー、そんなに稼げるのか!、そらいい、しっかりやれ」

300円というのが当時の大卒初任給の何倍かだったらしい。

こんな理解ある話は稀で、世間的には「バンド」「バンドマン」という言葉自体聞こえの良いものではなかった。

それは、 クラシック音楽と邦楽は芸術で高尚な音楽でそれ以外は「軽音楽」と呼んで社会的に軽い存在とみなされ、その演奏家もまともな社会人と見ない人も多かった。

 昨日書いた芦田ヤスシさんが流行歌の歌詞「やくざなドラマー」が良くないと言ったのも、そういう社会偏見を肯定する抵抗感だった。

 

戦後のジャズブームが昭和30年代になるとロカビリーブームに移行。

1962年(昭和37年)にビートルズがデビュー、この辺りがちょうどジャズからロックへと移行する境目に感じる。

それは楽器の変化からも境目に感じる訳で、それまでロカビリー含めて軽音楽全般ウッドベースだったのがエレキベースに変わり、間奏をテナーサックスでブロウしていたのがエレキギターが主流になった。

1965年のベンチャーズ来日で空前のエレキブームとなり、日本中の楽器店にカラフルなエレキギター(国産)が飾られ、子供の私も大いに憧れた。

その時代になるとロックンロールとエレキギターが「不良化を助長する」とされて、そういう音楽を聴くことが教育的に宜しくないとされ、エレキギターを持っているだけで「あの家の息子は」と、あたかもチンピラと付き合い出したかのように言われた。

今からするとばかばかしい話だが、私のリアルな記憶にある。

明日に続く。