母を見送る

函館市に暮らした母が今月8日に亡くなった。享年92歳と半年。
 
先月半ばに「母がインフルエンザと肺炎で危ない」と連絡を受けたが、持ち直して小康状態のまま年を越した。

いざという時に仕事との兼ね合いが不安だったが、不思議なほど仕事の合間を狙ったかのタイミング。
兄、「俺も師走は多忙だったから、母が俺たちのことを思って頑張ってくれたように感じる」と。
 
雪による不安から空路でなく北海道新幹線で往復。
函館は吹雪で厳しい天候だったが、兄と親族のみで平穏無事に見送ることができた。
 
母は大正13年(1924年)に、アメリカ、ワシントン州シアトル近郊のブレマートンという街で生まれた。
7歳で帰国、横浜で少女時代を過ごしたが戦争の空襲で父(私の祖父)の郷里九州へ。

その後、福井へ移って私は育った。
 
兄は7歳上で東京に暮らした後、結婚相手の郷里函館に居を移した。

私も上京しジャズピアニスト生活を始めると、母は60歳半ばを前に兄の住む函館へ移り生涯を終えた。
 
流転とも言える人生だったが戦争を境に以後は苦労も多かったようで、晩年はアメリカと横浜時代の思い出話ばかりだった。

横浜と同じ港町函館に、郷愁と相まった居心地の良さを感じていたようだ。

苦労を重ねたが、性格は明るく、外国生まれのせいか洋物ハイカラ好き、どこかお嬢様的なおおらかさは変わらなかった。
 
私の音楽にもその影響は大いにあると思う。
 
苦しむこともなく眠るような最期だったと兄から聞いて、長い人生をよく生きてくれた、お疲れ様と見送った。

追記
長寿を全うした母に対し、私自身は悲しみというのでなく、無事見送れたことへの安堵感すらありますので、どうぞ、お悔やみなどのコメントやメールのお気遣いなどなきようお願いします。その方が私も気が楽ですので。