映画と音楽112-上海で国境

上海公演は、「蘇州夜曲」、私のアレンジによる「月の沙漠」「砂山」他、"Sing.Sing.Sing"などジャズ、中国曲など多彩な曲目で大成功に終わった。

話は日本を発つ前に戻るが、現地企画との打ち合わせで「夜来香」(イエライシャン)「何日君再来」(ホーリーチュンツァイライ)2曲は外すよう言われた。

チェン・ミンさんも予想しなかったことで、戦時中の流行曲を日本人バンドが演奏することで過去を思い出す年配者への配慮ではないかと。

 

「夜来香」はリー・チンクワン(黎錦光)が1944年に作詞作曲し上海のスタジオで李香蘭がレコーディング、当時、現地滞在していた服部良一もリー氏との交流があった。
李香蘭終戦で帰国、本名の山口淑子として1958年に映画「東京の休日」(1958)に主演し「夜来香」を歌い、その後も日本では親しまれた。
新中国では思想的な文化統制によって「夜来香」も「何日君再来」も禁止、作者の二人も不遇な人生を歩んだ。

 

この2曲、1980年に入る頃の台湾でテレサ・テンが歌いリバイバルヒット。
折しも大陸中国では文化大革命終焉し改革開放へ、自由な風と共に歌声も届くが政府は「退廃的である」としてレコード販売など禁じた。
ところが家電ブーム到来で日本製小型カセットが大人気となり、瞬く間にコピーが広まって人々は隠れて歌声に聴き惚れた。
「白天聴老鄧、晩上聴小鄧」―昼は鄧小平を聴き、夜は鄧麗君(テレサ・テン)を聴く―という流行語まで生まれ政府も黙認せざるを得ず、あらゆる世代が知るスタンダード曲として復活した。

2000年の公演で、この2曲が生まれた国での演奏に大きな期待を抱いたが叶わず、音楽にも国境があることを知る。

問題なく演奏できた中国曲、やはり戦時下に日中間でヒットし不可解な謎を生む話はまた明日。

映画と音楽111-上海で監禁される

「蘇州夜曲」から始まって映画から離れた話になっているが、2000年6月の上海は往時の洋館や庶民住居も残しつつ、未来的建築も目立ち始めていた。

コンサート会場も新しい高層ビルの6階で、下層階はショッピングモール、上層階は高級ホテル。

楽屋フロアーも居心地よく美味弁当を終え本番まで時間は余裕だったが、メンバー二人ロビーの様子を見てくると出て行ったきり戻って来ない。

言葉が通じなくてもステージから回れば楽屋に戻れるはずで何処まで行ったかと思っていたら、本番衣装に着替えようという頃に戻ってきて、「大変な目にあった」と興奮気味。

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二人は楽屋を出てしばらく歩いた通路からステージ経由でロビーに向かったらしい。
日本でも大きな施設のバックヤードは殺風景で目印も少なく迷うことはある。

ロビーに出て開場待ちのお客風景を少し見て、来た順路を戻ったつもりで途中のドアを開けたら何もない小部屋で「あ、間違えた」。

その瞬間バタンと閉まり開けようとしたらドアノブがない、「えーっ!!」
鉄扉のすき間に指も入らず密室に監禁された。
ドアをたたき続け叫び続け、やっと気付いた人が開けてくれた。

 

無事タキシードに着替え「このまま本番に間に合わないと焦った。たまたま人が通ったから助かったけど、何で外からしか開かない部屋があるのか、他にも犠牲者がいて不思議はない」
犠牲者の死体もなかったようで幸いだったが、恐怖の時間だったに違いない。

前日のボラーレ事件は飛んで火に入りカモられたが、この監禁事件は理解できぬノブなしドア恐怖の密室。

日本で考えられないプチ事件ありながらも無事本番を迎えられた。

 

映画と音楽110-上海の楽屋にて

昨日「俺のフレンチ横浜」ランチ盛況、ソロ弾き語り、"Around The World"、"Fly Me To The Moon"など。夕刻はテナー中江裕気さん、ドラム秋葉正樹さんと久々の共演。

"Blue Bossa"、"Over The Rainow"。40代前半で達者なお二人、新鮮な刺激を頂き気分良い一日となった。

 

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映画と音楽110-上海の楽屋にて
上海公演当日、ステージのリハーサル終えるとチェン・ミンさんは家族に会いに行き、舞台監督と助手は通訳を連れて音響照明の調整室へ、我々バンドは楽屋フロアーに案内してもらった。

部屋に荷物を置いて衣装をかけ、外の広いスペースに夕食があるらしいことを言われた。
椅子があって細長いテーブルに人数分の弁当、日本でも見る大きな丸やかんは電気ポットだった、脇にコップと茶葉の容器、メンバー「急須がなくてお茶が飲めない」
私「こっちは直に茶葉を入れてお湯を注ぐんだ」と知識は披露したものの初体験で茶葉が口に入って飲み難く、何かコツがあるんだろう。

弁当は白い発泡スチロール容器でふたを輪ゴムで止めてある、割り箸の紙に店名があるのみ、開けると温かい焼きそばで具材も少なく見た目はシンプル。
期待せず食べたらこれがすご美味、初めての「上海炒麺」に一同感激。

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食べ終えるとメンバーの一人「トイレどこか聞いてくれる?」
蘇州観光では日本語が通じたが、掃除のおばちゃんに通じなさそうで中国語で聞いた。
「まっすぐ行って左に曲がるらしい」と伝えるとメンバー行ったがすぐ戻って来た、「あれ、違った?」と聞くと「トイレはあったけどトイレットペーパーがない」

スタッフルームに行き制服姿の女性に聞いた。


中国語初心者が覚える単語のひとつ「手紙」(ショウチー)はトイレットペーパーのこと、因みに郵便封書は「信」(シン)。
カタコトが通じて棚からロールを取り渡してくれた。
後で知ったことだが、トイレが詰まり易いので流さず設置された箱に入れる、それと盗まれるからとも聞いた。

時間はまだ余裕があってメンバー二人「ロビーの様子を見て来る」と出て行った。
ところがなかなか戻って来ない、一体何処までいったのか。

 

映画と音楽109-上海ボラーレ事件

昨日は快晴の春日和、「俺のフレンチ・イタリアン青山」ソロ。出演前に控室の外からデモの声が近づき遠ざかる、姿は見えなかったがキャンマー窮状訴えらしかった。

ランチは多くのお客様、夜の出演まで長時間休憩に街を歩くと、人気カフェに若者の行列、コロナ以前となんら変わらぬ風景。

夜7時台の出演も満席、帰路スマホニュースでコロナ感染者今月最多の430人と知る。

本日「俺のフレンチ横浜」に出演。

 

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映画と音楽109ー上海ボラーレ事件
「蘇州夜曲」から始まって映画から離れた上海ツアーの続き。

 

現地調達の楽器が全て揃い会場下見も終えた翌日、朝食で全員集合。
昨夜一人で散策に出たメンバーに「美味い店でも見つけた?」と聞くと、「いえ、えー、ちょっとした事件がありまして」、顔は笑っているが「事件」とは?

 

宿泊は一流ホテル「ホリデーイン上海」だったが、入口付近にカタコト日本語で「ノム、ヤスイ」と男がうろついていたのは私も知っている、彼はそれに付いて行った。

カラオケスナック風の店で安心して入り、ウイスキー水割りを飲み始めると女性が来て”おごって”の仕草、物価は日本よりかなり安く1杯おごった。
互いにカタコト英語で会話していると、また別の女性が来て1杯、2杯、注文していないフルーツが来てさすがに「ヤバい」と急いで清算したら2000元、日本円約2万7千円。

上海庶民の月給1万5千円ほどの時代だ、「高すぎる!」と抗議すると裏から強面のお兄さん登場。
女性が飲んだのは超高級酒、カードで払え、パスポート預かるから出せ、ホテルに一緒に行くと詰め寄られ、必死で服の全ポケットと財布を開けて見せ「これしかない」と現金8000円ほどで許された。

経済発展をこれから加速しようという国にとって、日本人は豊かなイメージが強かった。

 

彼は「いや、でもね」と、現金は最初から払った分だけ財布に、パスポートやクレジットカードなど貴重品はホテルに置いて「一応の対策はして出ました」
世界を渡り歩いた舞台監督「何が対策だよ、そんなの端っから怪しいに決まってるだろ。身ぐるみはがされてどうかなっても不思議じゃねぇんだ、五体無事だったからありたいと思え」。
本人真顔になって「はい、その通りで」と平身低頭。
そこで私♪ボーラーレ、オ~オ、と歌うと全員笑ってハッピーエンド。

明日は公演当日を迎える。

 

 

 

映画と音楽108-上海に戻る

本日「俺のフレンチ・イタリアン青山」ランチと夕刻、ソロ出演。

 

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映画と音楽108-上海に戻る

上海公演は現地オフィスの企画で、蘇州観光も歓迎のひとつだったのだろう。
ベースの手配が気がかりで早く戻りたかったが、上海市に戻り高速を降りるとお土産店で休憩となった。
お茶を頂いて、私が水墨画を観ていると店員が来て「イイ絵でしょう」と日本語で値札を指さし、「日本円で2万円、デモ、キョウはアナタ特別1万円」、いきなり半額。私「見てるだけだから」、店員「8千円・・・ソウですねぇ、7千円マデなら」

「買い物は値切るのが中国の常識」とはこういうことか、映画「旅情」で同じことがイタリアの常識と言うシーンがあった。

 

誰も何も買わず、ようやく朝出発した場所に戻ると手配したウッドベースが届いていて、ベーシスト酒井一郎氏が確認しオーケー。
夕飯はチェン・ミンさんご両親の行きつけの店、ここで初めて日本の中華料理と一味違う美味に感激した。

 

次の日は音楽学校見学の後にコンサート会場下見へ、新しい高層ビルにある素晴らしい大ホールでピアノはスタンウエイ、ドラムも問題なし。
メンバーは自由解散にして私は日本から同行した舞台スタッフと残り、通訳を介し音響、照明の打ち合わせ。

この舞台監督と助手のお二人、演劇や音楽などの公演で世界各国で仕事をしてきたつわもの職人。
ソ連時代の共産国に行った時に支払われる報酬が法律で国外に持ち出せず、毎夜贅沢な飲食で使うしかなかったそうだ。
翌年も依頼が来たので、報酬を知人の日系企業経由して帰国後に受け取ったとか。
打ち合わせを終えてホテルに戻ると、メンバーの一人が散策に出かけたと聞いた。

 

映画と音楽107-蘇州日帰り

満映時代の映画「支那の夜」(戦後「蘇州夜曲」に改題)で李香蘭が歌った「蘇州夜曲」から始まった、初めて中国に行った話の続き。

2000年6月、二胡奏者チェン・ミンさんの公演で上海へ、現地調達のウッドベースに問題あり手配する間、蘇州日帰り観光へとのお心遣い。

ありがたいもてなしだったが、楽器が揃わぬ不安にレジャー気分も薄いままにマイクロバスへ。

高速道路に入ると日本と違うのは追い越し車線が左側というだけで、漢字(簡体字)とアルファベットの標識はよく似た風景に感じた。

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上海から1時間ほどで到着、ドアが開くと女性が乗って来て「ミナサンコンニチワ、私はガイドの〇〇デス」と首から下げたカードを示す、現地日本語ガイドさんだった。

旧家の庭園やお寺巡り、どこも日本人ツアー客が多く、風景に目を留めていると仲間を見失うほどで3か所目には同じような風景に感じた。
「蘇州夜曲」に歌われた「寒山寺」にも行ったが、他とごっちゃになってはっきりと覚えていないのは惜しい。

土産店が並ぶ通りの入口で一人がインスタントカメラを買い、2~3軒歩くと同じ商品がより安く売られていて「そういうシカケか」と。

ヒスイなど工芸品には誰も興味示さず、ランチは地元ホテルのレストラン、日本人好みの中国料理コースで味は可もなく不可もなく。
メンバーの一人が「トイレに行きたいけど言葉が」と、ここは覚えたて中国語の実践とスタッフ女性に聞くと「左に行クトアリマス」と日本語で拍子抜け。


自由行動となっても全員が散策など観光気分薄く、集合時間より早くバスに戻り出発した。

歌にある「水の蘇州」の美景を後年テレビで知って、こんな素晴らしい所だったのかと残念に思った。

ライブレポ・リモートリクエスト

昨日、銀座「スイング」、ベース山口雄三、ドラム八城邦義、ギター浅利史花。

緊急事態宣言解除を受けて2ステージ復活、1回50分。

事前にアレンジした曲をお送りしたい、本番リクエストも極力お応えしたい、各演奏者のソロも十分に聴いてもらいたい、トークは短めにしたが50分があっという間に感じた。

 

リクエストの「トゥーラブアゲイン」は久々の演奏でイントロをわずかなミス、動画配信において痛恨の想い。

なんと、その配信をご覧の方からリクエストがあった。

2回目の演奏中で届けられたメモに曲名と「動画配信をご覧の方から」と書いてあり、「サテンドール」「ギフト」の2曲をお送りした。

リモートワークという言葉も日常化しているが、ジャズライブでリモートリクエストとは驚いた。

 

20年程前だったかに出演していたライブにご兄弟で来店されるご常連がいらした。

ある夜に弟さんがお一人で「兄が急に来れなくなりとても残念がりまして、電話で聴きたいと、リクエストをお願い出来ますか」と携帯を通話状態にし、ナット・キング・コールの曲をお送りしたことがあった。

この思い出をして今更驚くこともないとは思うが、しかし昨夜のリクエストは未来に生きてるような気になった。