若き日の悩み

1970年代後半、ホテルやキャバレーなどのバンドにレギュラーとして毎日通う仕事を「ハコ」と呼んでいた。

通常はポピュラー音楽や映画音楽が7割でジャズは3割ほどだったが、クラリネットの小田洋司さんのハコは演奏の7割がスイングジャズだった。

スイングを初めて知った私には新鮮だったが、日本の高度成長と相まったようなジャズの革新と前進の風潮に、43歳の小田さんは「俺は時代遅れ」が口ぐせだった。

 

スイングの曲はモダンジャズと違って、例えばコード進行が単純でそれまで覚えたアドリブのやり方が合わないのでテディ・ウイルソンなどの録音を聴いてマネた。

マネることから学ぶとは言え、曲によってスイング風だったりモダン風だったり、モノマネから抜け切れず四苦八苦。

更に周囲から「そんな昔の音楽やっても食っていけない」と言われると、無駄なことを努力しているのかと大いに悩んだ。

 

1979年頃には全国の歓楽街にあったキャバレーが衰退し初め、ハコの演奏家で譜面は読めるがアドリブは得意でなく、フリーでは食っていけないと廃業し転職する人が増えた。

私もフリーとなったが、覚えたばかりのスイングをどう表現するか、演奏の未熟さと将来への不安があった。

30歳までの数年になんとか自分の音楽を形にしたい、それで35歳まで食えなかったら見切りをつけて郷里に戻ろうと考えた。

明日に続きます。