言葉6-バンド言葉人口

昭和32年(1957年)の日本映画「嵐を呼ぶ男」でジャズ演奏家とマネージャーの会話に「ツェーマン」などバンド言葉が多く登場し、ジャズが大衆芸能だった時代を知る。

私がプロ生活スタートしたのはずっと後の1975年だが、当時、ホテル、キャバレー、クラブ、ダンスホール、テレビ音楽番組など、ジャズ系バンド言葉人口は多かった。

これらの仕事が変化したのは70年代末から80年代にかけて。

大型キャバレーは体育館ほどの空間に多くの客とホステスが居て、ステージでは2~3バンドが入れ替わり、ダンスやショー、そんな団体型娯楽がカラオケの普及などで個人型娯楽へと。

テレビではフルバンドで歌手が歌うスタイルからニューミュージックやフォークなどジャズ系でないバンドが人気となり、放送や録音もシンセサイザーなど機械的に楽器音を作ることでの人減らしが始まる。

必然的に全国で多くの演奏家が失職し転職していったことと、ジャズが大衆芸能から離れていったことで「バンド言葉人口」も減少した。

今思えばこの時から消えゆく言葉の一歩が始まっていたのかと思うが、私世代はその後も長く符丁で会話していた。

 

あくまでも仕事言葉として家庭やお客様に対しては使わなかったが、当時大学のジャズ研でもプロをマネてバンド言葉を覚えたそうだ。

あるライブご常連は大学時代ドラマーに憧れつつも卒後後に会社に就職されて、私たちに「明日はビータで九州まで行くのでマイウなシーメが楽しみです」。

シーメ(飯)、マイウ(美味い)、そしてビータ(旅)は会社の出張のことだった。

我々が言う「ビータ」は演奏旅行に限ったことで少々違和感を覚えたが、御本人はバンド言葉に学生時代の懐かしさが込められていたようでとても楽しげだった。

続く。