言葉17-ドラマーとの出会い

亜土さんからピアニストとして仕事を頂くようになった30代前半、グループ「ロミ&ジョーカーズ」と別にリーダーとしてバンドを組むことはなく、仕事に応じて複数のベーシストやドラマーと共演していた。

 

80年代前半のジャズ系バンドの仕事は、日常的なライブやホテルラウンジの他イベントや会社パーティーなど、それ以前に多かったキャバレーは急速に減少したがまだ名残はあった。

新宿歌舞伎町にあった「クラブ・ハイツ」は体育館ほどあるグランドキャバレーで連日フルバンド出演、ステージ前はダンス用に広いフロアーでその向こうにずらっと客席が並んでいた。

私が演奏に行ったのはレギュラーバンドがお休みの日曜日で、フルバンド用の楽屋はがらんとして店内もお客が少なくやたらに広い空間の印象が残っている。

村田浩クインテットはトランペットとテナーサックス2管、ベースが亜土さんに「きたじまさぶろう」と呼ばれた(ブログ10月9日「ちゃんで記憶」)松島憲昭、そしてドラムが八城邦義(敬称略)。

 

彼は私より4歳若くこの頃は本名の「屋代」だったが、名ジャズピアニスト八城一夫さんのご子息ということだけでも何だかプレッシャーを感じた。

演奏開始するとテクニックも優れていてキレが良く、それまで知るドラマーの中では一番好みにぴったりでこの人とトリオを組めたらと思った。