昨日、東京都のコロナ感染者数が949人と驚くべき数字だが、銀座「俺のイタリアンJAZZ」「俺のやきとり銀座9丁目店」、両店舗共にまずまずの入り。但し、通常の土曜日にしては8時台には少なく、早めに帰宅されたお客様が多かったようだ。
私も含めある程度コロナ慣れもないと生活が成り立たない実情はあるが、例年と違う緊張感で迎える年末の東京。
映画と音楽26-ジョルスン物語
昨日までビング・クロスビーのことを書いたが、更にお古いお話。
かつて「ジャズヴォーカルの父」と称されたアル・ジョルスンの名を知ったのは20代前半、和田誠さんの対談本「たかが映画じゃないか」だったと思う。
マイクロフォンのない時代から歌っていて、1927年に映画がトーキー(音声付)になった初めての映画「ジャズシンガー」に出演。
祖母が米国在住中にサイレントからトーキーになったとよく話していたのでこの映画も観たはずと思うが、私があれこれ知る頃には他界していたので残念。
名前を知ってから数年後にラジオで歌声を聴いた。
マイク以前の歌唱法だからか朗々とした声で大げさでアクが強く、小粋なジャズヴォーカルというイメージとは違う。
伝記映画「ジョルスン物語」”The Jolson Story”(1946)は、ラリー・パークスが演じて歌はアル本人が吹き替えた。
スタンダードとなった多くの名曲が歌われ、晩年、愛妻と結婚記念を祝って歌う「アニバーサリーソング」”The Anniversary Song”(原曲はクラシックの「ダニューブ川の漣」)が印象的だった。
また、作曲家ジョージ・ガーシュインの伝記映画「アメリカ交響楽」(1945)"Rhapsody in Blue"にアルは本人役で出演。
無名時代のガーシュインが音楽業界人宅を訪ね新作の「スワニー」をピアノで弾いているところに電話がかかる、アル・ジョルスンからで受話器越しに「今聴こえているのは誰の曲だ」、これを録音し大ヒット、一躍有名作曲家となるエピソードが描かれた。
明日に続く。