戦前の上海で多くの映画が製作され、日本が旧満州に設立した「満映」(満州映画協会)では李香蘭(山口淑子)主演映画など制作。
日本敗戦で満映も解体されるが一部スタッフは現地に残り、優れた映画技術を中国人スタッフに教えながらスタジオを維持した。
国民党と共産党の内紛が起こり映画機材を守って北方へ移転、政権を握った共産党から制作依頼が。
読み書きが出来ない民衆に向けた思想教育映画で、制作を担った日本人スタッフは全員中国人名に変更され各地で上映された。
そのひとつ、映画「白毛女」(1950)。
貧しい農村の娘と青年は愛し合い結婚を誓うが、娘に目を付けていた悪い地主は強引に負わせた借金のかたに連れ去り囲い者にする。
娘は逃亡し山に隠れ辛酸で髪が真っ白になるも生き延び、やがて民兵に発見されると中の一人があの青年で再会、地主は断罪される。
共産党の農地解放プロパガンダ映画だがストーリーは勧善懲悪で、後年、歌劇として日本公演や日本人も演じた。
挿入曲「北風吹」(ペイフォンチュイ)。
少年期北京放送で漠然と抱いた中国への興味、上京した頃に観たNHKテレビ「中国語講座」テーマ曲に「北風吹」が使われていた。
ジャズ演奏家生活が始まって中国趣味は休眠したが、40代半ばに中国人二胡奏者チェン・ミンさん、古筝奏者ジャン・シャオチンさんとの共演で「『北風吹』を演奏したい」と申し出た。
お二人は私が知っていることに驚き「私たちも懐かしいから是非」とアレンジして演奏した。