映画と音楽78-中国映画の続き

昨日の続きが書きたくて、音楽抜きになりますけど悪しからず。


新中国誕生した頃は旧満映の日本人スタッフが中核となって「白毛女」や特撮を使った「橋」など制作し、全員中国人名に変更され上映された。
昭和20年代末にスタッフは帰国したようだが、日本人が伝えた編集技術がその後の中国映画に生きた。

 

文化大革命時代の映画は国家事業で思想に沿った作品を制作。
文革終了すると表現の自由がある程度緩和されたが、当然国からの製作費は出ない。
若手監督は低予算で許される表現に情熱を燃やし、80年代以降世界的に評価される作品を生んだ。
紅いコーリャン」「あの子を探して」「活きる」「初恋の来た道」「山の郵便配達」「こころの湯」「変面」・・・たくさんの作品を観た。
シネコン上映はなく小規模館ばかりだったがどこも混んでいて、都市部限定だったので遠方から来るファンもいたようだ。

 

内容は素朴な人情や急速な発展で失われゆく伝統文化への惜別など。
チャン・イーモウ監督の「あの子を探して」は出演者のほとんどが素人で、ドキュメント的な感動があり、同監督の「活きる」は、新中国誕生前から文革後までを一組の夫婦を通じて描く心に残る作品、などなど、この頃訪れた中国体験と重なった。
急激な経済発展で2009年には巨額を投じた「レッドクリフ」の超大作ぶりに驚き、大挙して日本への爆買いの時代からコロナ禍、素朴な人情味溢れる作品の数々が遠い昔に感じる。

 

2005年、北京の中国電影博物館(映画博物館)オープニングセレモニーで、かつて映画に中国人名でクレジットされた日本人スタッフの実名を公表、その生存者、岸富美子さんが日本から招待された。
満映時代から戦後まで編集技術者として中国映画制作に携わり、著書「満映とわたし」を出版し一昨年(2019年)98歳で亡くなられた。