映画と音楽80-分岐

本日「俺のフレンチ・イタリアン青山」ランチと夕刻、それぞれワンステージづつソロ出演。


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映画と音楽80―分岐
アメリカ映画「アメリカングラフィティー」(1973)がきっかけでオルディーズのリバイバルブームが80年代まで続いた。
リバイバルと言っても描かれた時代は1962年で映画のつい10年前だが、当時の私がナツメロ復活に感じたのは若者の時間感覚か。
気になりつつも観ておらず、後でテレビで観た。

 

20代、イスラエル映画「グロウイングアップ」(1978)を観に行った。
欧米映画と変わらぬ印象で、60年代青春物語、音楽は全てオルディーズ・オリジナル録音、ヒットして続編も観た。
主人公の少年が失恋し雨の中を歩くシーンにボビー・ヴィントンの「ミスターロンリー」が印象的だった。
サントラLPを2枚買って更にカセットテープでもあれこれ集め、リアル記憶に上書きされてオルディーズ情報が増えた。

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あるパーティーの仕事で大先輩テナー奏者芦田ヤスシさんがリーダーで、主催者の希望は「ジャズ演奏の後はオルディーズを何曲かお願いします」。

私は喜んだが芦田さんは「あんまりやりたくないけど、仕事だから」、と言いながらも「ダイアナ」「ヴァケーション」などのブロウテナーは実に見事だった。

 

芦田さんは昭和4年に生まれ20代は戦後ジャズブーム、白木秀雄クインテット美空ひばりとの共演など大活躍、30代前半ロカビリーブーム到来。
異種音楽の台頭に抵抗を覚えたことが「あんまりやりたくない」だったのだろう、ちょうど昨日書いた大衆音楽の分岐点にあたる時期だ。
芦田さんより一回り若いジャズ歌手高橋伸寿(たかはし・しん)さんは、ロカビリー時代から活躍されて「ダイアナ」も18番だった。
故人となられた大先輩のお二人に分岐点を観ると同時に、当時の音楽ブームの濃さを感じる。

 

注釈:「ロカビリー」「オルディーズ」「ポップス」は大意で同類音楽として書きました。