追記2-北京道路

2000年の北京はマイカ保有率が低く、平日朝夕のラッシュ時を除いて移動はタクシーが快適便利だった。
3ランクあって一番安いワンメーター10元(130円)は小型、ドアを開けるにも(基本手動)力が必要な車もあり、なるべく上ランクを狙って拾った。
制服はなくランクに比例して普段着から小ぎれいな服装まで。


2004年にはマイカー購入が急速に伸び、車両登録発給が追い付かずフロントに書類提示して走行する「無ナンバー車」を多く見た。
運転免許教習所がなく、自宅付近の路上で経験者に指導を受けて免許取得する人が急増、交通渋滞が激しくなり地下鉄移動の方が便利になった。
市内混雑は日常的となって休日は高速道路も渋滞、八達嶺長城まで2000年は40分だったが2006年には2時間半、この数年が日本の50年分を凝縮したかに感じた。

 

街の照明事情の変化も、繁華街の路地裏や商店の照明の暗さに昭和な懐かしさを感じたが、どこも明るくなっていった。
私の体験は2006年までだが、以後北京五輪(2008年)に向けたバイパス道路工事が急ピッチで進められ、地下鉄路線も増えて整列乗車も浸透していったようだ。

 

20年前の北京で出会った人々、カタコト日本人の私に親切に接してくれて「日本は経済発展した国、中国はこれから」と素朴さと謙虚さがあった。
追いつき追い越せ、2010年過ぎると経済面で日本を追い越し大挙して爆買い世界進出。

2019年にあちらに行った人によると「キャッシュレス化が浸透してスマホがないと何も買えないほど」だそう。