ブルースなくして

19世紀アメリカで黒人の労働歌にある形が生まれ、これを「ブルース」として世に紹介したのが作曲家ウイリアム・クリストファー・ハンディ。

このハンディさんの伝記をナット・キング・コールが演じたのが、映画「セントルイスブルース」(1958年)。

ハンディーの父親は厳格な神父で、黒人でありながら黒人音楽を否定し息子にも讃美歌を勧める。

父を慕いつつもブルースは価値ある音楽と信じ作曲の道へ、目の病で視力を失いかけるが回復、「セントルイスブルース」が社会に認められ父の理解も得る。

共演がアーサ・キット、日本では「証城寺の狸ばやし」で有名になった。他にもエラ・フィッツジェラルド、マヘリア・ジャクソンなど大物歌手続々登場の音楽映画だった。

 

ブルースはジャズの大きな要素にもなって、ブギウギ、ジャンプなどの形式で発展、白人のカントリー音楽と融合してロックンロールへビートルズへと、20世紀になくてはならない音楽のひとつとなった。

12小節で同じコード進行を繰り返すのが基本だが、その形式でなくても"BLUES"という言葉が使われる曲も多く生まれた。

 

昭和初期、作曲家服部良一氏が「セントルイスブルース」に触発されてブルース歌謡を生み、その後、ムード歌謡から演歌調から何でもかんでも「ブルース」は流行った。

洋楽の邦題も原題に関わらず、「星空のブルース」「白い渚のブルース」「白い夜霧のブルース」「青い火影のブルース」他、星の数ほど昭和の巷に溢れた。

 

朝昼向き「白い渚のブルース」” Stranger On The Shore”  Acker Bilk 

夜向き「青い火影のブルース」 “Night Fall” Dick Charlesworth