マスターAさん―1

「ロミ&ジョーカーズ」は10年活動して自然解散した後、弾き語りをしたいと思ったが、一人で歌うのは難しかった。

コーラスはきまったフレーズを複数一体となって合わせるが、ソロヴォーカルは自由な表現が大切、その自由が不自由で技術も表現も足らず。

練習してもなかなか上達なく「どうせピアニストの余技」という気持ちもあって、一日のライブで1~2曲のかくし芸で40歳越した。

45歳、北村英治さんとの共演が始まると、私がコーラスやっていたことをよく覚えていらして「何か歌ってごらん」と本番いきなり、これが次もまた次もと続くので「これはマズい」と歌の猛練習を始めた。

そんな頃、あるジャズバーに女性ヴォーカルの伴奏で行った終演後、マスターが「良かったらソロで出てよ」と。

北村さんの仕事以外に個人の仕事が少ない時期でもあり、ありがたかった。

 

マスターAさんは私より5歳ほど上、脱サラで水商売経てジャズライブの雇われマスター時代はバブル期で連日大盛況、その後独立して六本木で店を持った。

最初はバンドによるライブもやっていたが客足が落ち、私が行き始めた頃はデュオかソロだった。

音楽に純粋で人は良いが愛想良いとは言えず、思ったことをストレートに言葉する、出演した人の多くは「人は悪くないんだけど」の後に「あのマスター苦手」とか「キツイ言葉で怒られた」などと。

私は苦手なタイプでもなかったので、月に2~3回ペースで出演。

ピアノソロでスタートして、その内弾き語りを少しづつ入れて修練場としても大切な場となったが、お客様は更に・・・、明日に続く。