エアコン2-三重地獄

昭和時代「風俗の乱れにつながる」として午前0時以降のダンスやバンド演奏を伴う営業を禁じる法律があったが、若手時分(1975~85年)深夜の演奏仕事が多かったのは黙認されていたのだろう。

「ハコ」と呼ばれた毎日同じ店に通う仕事で、電車で行って始発で帰宅、或いは深夜2時や3時に終わる店だと喫茶店で始発電車を待って帰宅、20代とはいえしんどかった。

加えて、1984年頃からロミ&ジョーカーズで車1台での地方ツアーが増えたことで運転免許を取得した。

 

最初の車は友人ドラマーから2万円で譲り受けたホンダ・シビックで、あれは真夏の暑さ厳しい日だった、朝からのお腹不具合を薬で落ち付けてお昼過ぎ、埼玉県大宮の仕事で小金井を出た。

カーオーディオもエアコンもなし、窓全開で走行中はしのげたが渋滞で停まるとサウナ状態、射し込む太陽がじりじりと熱い。

わずか進んで停まる繰り返しする内に落ち着いたはずのお腹が・・・やばい。

 

ガソリンスタンドなし、今ほどコンビニもなし、仕事に遅刻する不安から途中停車での対処もためらい、脂汗と冷や汗とが体中から噴き出しハンドルを握りしめ歯を食いしばり、クラッチ、ギア、アクセル、ブレーキ・・・。

スーツ上着とネクタイは後ろにハンガーで釣り、長袖ワイシャツをまくり上げた腕に容赦なく照り付ける太陽、下腹に襲い来る激流を必死に耐えつつも決壊の大惨事を想像、灼熱・激流・時間、三重地獄に30歳ピアニストの運命や如何に!

 

と、ここまで書いて35年前のここから後がどうにも思い出せないのは申し訳ないが、悲惨な記憶もないので耐え抜いて無事到着したと思う。

大先輩のテナーサックス奏者芦田ヤスシさんと演奏したのはよく覚えている。