台本追記―先輩話2

テナーサックス芦田ヤスシさんと毎月出演したライブは銀座でもJR新橋駅に近かった。
「そこ(新橋)の駅前に大鍋でシチューを売る露店があったんだよ。

それが米軍の残飯を集めて煮てるから時々チューインガムとかネジとか出て来る、それでもみんな飢えてたから行列出来てたね」
私「芦田さんも食べたんですか?」
「いやぁ、こっちは進駐軍で演奏して食事も良かった」

銀座や日比谷界隈は米軍が計画的に空襲せず、戦後関連施設として接収した建物が多かったそうだ。
「日比谷の第一生命ビルがGHQに接収されて、床磨きのワックスも向こうから持って来たんだな、一歩中に入ると”これが、アメリカのにおいかー”ってね。

ピアノも持って来たんだよ。進駐軍キャンプのアップライトが「スタンウエイ」だった、でも中には鍵盤にタバコの焼け焦げとかひどいのもあった」

 

トロンボーン河辺浩一さん
「あの頃の日本人の管楽器はそらぁお粗末でね、それが米軍基地に演奏に行くとセルマー(サックス一級品)なんかあって、入れ替えて持ち帰る奴がいたんだよ」
私「ゲートの検査とかないんですか?」
「それがね、彫金てぇのかな、日本製サックスにセルマーの模様そっくりに掘る職人がいて、それで演奏して帰りに本物をケースに入れて持ち出すんだよ。
またそういうやつは悪知恵が働くから、ウイスキーの角瓶を用意しといてゲートでひっかかるとそれで見逃してもらう」
明日に続く。