演奏家苦楽

昨日、銀座「俺のフレンチTOYKO」にレギュラートリオ(酒井一郎B、八城邦義Dr)で出演。
店舗のあるビルは表通りに面しているが、この1本裏通りのビルに控室がある。
2回目ステージを終えてトリオで夕食をとり、控室に戻ったらビルの谷間に美しい夕焼け。(6月9日 19:02スマホ撮影)
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この「俺の」シリーズ店出演者の控室には
日報ノートがあって、日々の演奏曲目と各演奏家のコメントが書かれている。
「お客様と一体感を得た楽しいステージだった!」
若手出演者の中にはトークが少し慣れてきたが、もっとお客様をひきつけるように頑張りたい」
満席で賑わうと売上は上がるけど「お客様の話し声が大きく演奏への集中力が途切れそうになるのを頑張った」

レストランなのでほとんどのお客様は食事目的で来店、そこにジャズやクラシックのライブがある。
時に、食事の手を止めて聴き入って熱心に拍手、演奏家は気分も集中力も上がり、表現力も上がって、お客様と一体となって盛り上がる。

時に、ステージに目もくれず会話と食事に夢中、大勢の話し声が上がると自ら演奏する楽器の音が聴き難くなり「自分は今何のために演奏しているのか」と心が折れ、音楽表現の集中力も途切れそうになるが、「音楽の質を落としてはいけない」と心で葛藤する。

演奏家は人に楽しんで聴いてもらうために精進して日々を生きている。演奏時には高い集中力を持って日々の精進を注ぎ込み表現に努める。それが、お客様に無視されたように感じる時、人生を否定されたようなダメージを受けることもある。

この俺シリーズは皆さん腕の確かな演奏家揃いだが、様々な場所においてはお客様が悪いわけでなく演奏家としての”腕”の至らなさという場面もあろう、そういうことがあってはならぬと皆精進しているわけだ。

私も同様の苦楽はあるが、以前よりも心折れる角度は浅くなり、少々のことがあっても演奏への集中を保っていられるようにはなった。それは年齢を重ねたお蔭か、はたまた腕・・・?ならありがたいけど、ただずうずうしくなっただけか?