映画と音楽119-譜面とアーヴィン・バーリン

20歳そこそこの頃にテレビでたまたま観た映画、タイトルも知らず観始めたらテーマ曲にひきつけられ、急いで譜面にメモした。
本編はなんとフレッド・アステアとジュディー・ガーランド主演のミュージカルで「イースターパレード」"Easter Parade"(1948)、音楽はアーヴィン・バーリン
テーマ曲"Easter Parade"は古典的で素朴な鼻歌で歌えるメロディー、過去トリオ用にアレンジして演奏、北村英治さんとも一度だけ演奏したことがある。

 

映画裏話によると、ジーン・ケリー主役で予定されていたが怪我で引退状態だったアステアになったそうだ。
アステアは30年代全盛期で映画「トップハット」でアーヴィン・バーリンの「チーク・トゥ・チーク」を歌っており、この映画で二人の相性を感じる。

 

アーヴィン・バーリンは、ロシヤ系ユダヤ移民で子供時分に父親を亡くし苦労して育ち、教育を満足に受けられず譜面の読み書きも出来なかった、と信じがたい話。
バーリンさんは稼ぐためにピアノ弾き語りを始め自作曲を披露、23歳で「アレキサンダーズ・ラグタイムバンド」のヒットで有名になり、数年後「イースターパレード」を書いている。
曲が出来るとピアノで弾いて専属の音楽家が採譜編曲したそうで、「ホワイトクリスマス」「ブルースカイズ」など多くの作品を生んだ。

 

譜面の読み書きが出来なかった大作曲家は誰しも何か出来る夢も与えるが、時代を越えて残る歌など書けるものじゃない。

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映画と音楽118-巴里のアメリカ人

映画「巴里のアメリカ人」(1951)"An Aamerican In Paris"、ジーン・ケリーレスリーキャロン主演のミュージカル。
全曲ガーシュイン曲、"I Got Rhythm"、"Our Love Is Here To Stay"、"S'Wonderful"、"The Man I Love"、"But Not For Me"などなど、ジャズとして演奏や歌われる頻度の高いスタンダート曲。

これらの曲は1920~30年代のレビューやミュージカルに書かれたもので、タイトルの「巴里のアメリカ人」は1928年に作曲した交響曲

 

ジョージ・ガーシュインはピアノ演奏は優れていたが交響曲を書く知識が乏しく、作編曲家グローフェに教えを請いながら「ラプソディーインブルー」を完成させ、更に独学を積んで「巴里のアメリカ人」を発表。
憧れのヨーロッパ訪問でラベルなど有名作曲家に教えを乞うたが、「あなたほどの作曲家に教えることはない」と言われた話は有名。

 

この少し前19世紀末、ヨーロッパ芸術は行き詰まり感があったようで、日本の浮世絵がきっかけでジャポニズムブームや、ドビュッシー、ラベルは東洋音楽やアメリカのラグタイム、ブルースなど異文化に目を向け始めた。
ガーシュインアメリカ特有の要素を大胆に融合させた音楽は斬新だったのだろう。

複雑なハーモニーやフレーズの交響曲から、「サマータイム」など”鼻歌で歌える”大衆的小唄まで時代を越えて親しまれる。

 

映画と音楽117-ガーシュイン

本日「俺のやきとり銀座9丁目店」ソロ出演。

 

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映画と音楽117-ガーシュイン
作曲家ジョージ・ガーシュインの伝記映画「アメリ交響曲」(1945)。
20世紀初頭、ヨーロッパの芸術音楽に匹敵するアメリカ音楽を生んだと評される。
1937年に38歳で早世し8年後に制作された作品で、実際に親交のあったアル・ジョルスン、ポール・ホワイトマンオスカー・レヴァントなど本人役で出演。

 

ニューヨーク生まれのガーシュイン兄弟、兄アイラは文学少年で作詞、弟ジョージはピアノ演奏に優れ作曲を目指すがチャンスがなく譜面販売店に勤める。
お客が選んだ譜面をピアノで演奏し気に入れば購入する実演販売で、1910年代、ラジオ、レコード普及以前。

客の求めに応じて演奏するのが流行曲「スマイルズ」"Smiles"、チャップリンの「スマイル」より前、1918年の曲で北村英治さんとよく演奏する。
ある出版社に自作曲「スワニー」を売り込みに行きピアノ演奏、社長は聴きながら電話をかける、相手は人気歌手アル・ジョルスンで「今聴こえてる曲はイケる、俺がヒットさせる」、これがきっかけで一躍有名作曲家となる。

 

ポール・ホワイトマンはオーケストラでジャズを演奏した先駆けで、楽団専属アレンジャーのグローフェがガーシュインの編曲技術を補助して交響曲を完成させた。

 

オスカー・レヴァントガーシュイン親友のピアニスト。
映画では出版社売り込みでガーシュインと出合う、後半はピアノ協奏曲の演奏シーンたっぷり。

レヴァントとオーケストラで「ラプソディーインブルー」、野外コンサートホールで真上からのショットがどんどん引いて遥か上空からの眺めに、CGのない時代にあって凄いラストシーン。

映画と音楽116-半世紀

昨日、「俺のフレンチ横浜」にクラリネット谷口英治さんと出演。夕刻ステージのラストは「世界は日出のを待っている」"The World Is Waiting For The Sunrise"。

1919年、第一次大戦終結でカナダの音楽家が作曲、平和に向けた希望だろう。

 

この前年1918年の米国曲「また逢う日まで」"Till We Meet Again"は、まだ戦時下だったのか出征の別れと再会を歌っている。
素朴で美しいワルツで「雲が去って青空に」と希望の歌詞。
同じ表現は第二次大戦でも、「また逢いましょう」"We'll Meet Again"、1939年の英国曲でベラ・リンの歌が40年代大ヒット。

「暗い雲が去って晴れた明るい日にまた逢いましょう」、一年前のブログにコロナ禍と重ねたが、現在も雲は去らぬまま街の賑わいは一部戻っている。

 

素朴な"Till We Meet Again"(1918)と、モダンな"We'll Meet Again"(1939)、わずか20年差に大きな違いを感じる。

 

1900年~20年代は「リンゴの木の下で」「私の青空」など素朴な味わいの曲が多く、その間に映画がトーキーになり、ガーシュインは人気ソングライターから「ラプソディーインブルー」など世界的作曲家へと、ジャズ誕生から成長期。
30年代はスイング全盛となりジャズ成熟期、40年代にブギウギブームからビバップなど発展。
この変化の速度と大きさは、レコードや映画など新たなメディアが影響したのだろう。

それに比べて1970年から現在の変化をわずかに感じるのは、私の世代的なこともあるのか。

 

映画と音楽115-訃報

昨日、銀座「俺のイタリアン東京」/「俺のフレンチ東京」に約1年ぶりに出演。

帰路の電車でスマホに妻からメール「田中邦衛さん亡くなったね」、ニュースを見ると老衰で88歳とある。

 

映画「若大将シリーズ」の青大将役で人気俳優となったのは私が小学生時代、映画館で観たのは「アルプスの若大将」だけだが、その後テレビやビデオで何本も観た。

中でも「エレキの若大将」はあの頃のブームが詰まっていて、加山雄三さんの音楽も魅力だが、青大将役の田中邦衛さんがこの映画をより輝かせていた。

この映画より前に俳優仕事が少なく辛い時期があったそうで、ふらっと寄った渋谷のジャズ喫茶で北村英治さんが出演、「古い十字架」"Old Ragged Cross"が邦衛さんの心に響いたそうだ。

讃美歌でアメリカではジャンル問わず多くのアーティストが取り上げ、当時ジャズクラリネット奏者ジョージ・ルイスの録音が評判だった。

 

それから何十年か後にテレビ局でお二人偶然出会い、思い出話を聞いた北村さんがライブに誘った。多分10年程前だったか横浜での出演に幾度かいらした。

「古い十字架」など演奏しステージから北村さんが「本日お席に俳優の」と紹介すると、照れながらステージまで来られてマイクで「いやぁ、音楽ってのは本当に素晴らしいものです」。

ステージ終えると感激された様子で「皆さん本当に素晴らしいなぁ!」と我々一人一人握手。

あるイベントの楽屋にお寄りになった時、北村さんマネージャー持参のお菓子を見て「これなんですか?」、マネージャーが説明すると「頂いていいですか」と召し上がった。

また「これなんですか」と同様に、繰り返す様子があまりに可笑しく思わず吹き出した私に「あなたぁ、笑いすぎだよー」と、これがまた可笑しくて一同笑い、映画テレビのイメージと変わらなかった。

しばらくして 北村さん「邦衛さんに連絡したら、このところ出かけるのが難しいって言うんだよ、俺より若いんだけどねぇ」、以後お会いすることがなかった。

あの表情、お声、今も記憶に鮮明に残る。ご冥福をお祈りします、

 

本日「俺のフレンチ横浜」、クラリネット谷口英治さんと出演。

 

映画と音楽114-ヴィシーの水

昨日「俺のフレンチ横浜」出演、横浜駅から徒歩7~8分の行きも帰りも10~20代の若者で溢れる中を身を硬くして歩いた。

帰路電車も混む首都圏の状況に経済と感染防止両立の難しさを痛感しつつ、私も活動自粛して完全家籠り出来ぬジレンマ。

本日は銀座 俺のフレンチ東京」/俺のイタリアン東京」にソロ出演。

 

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映画と音楽114-ヴィシーの水
映画「カサブランカ」は第二次大戦中の1942年の制作、若い頃は歴史的背景も知らずボギーのカッコ良さと「時の過ぎゆくまま」"As Time Goes By"などのジャズに魅了されたが、後年、抗ナチが強い映画と知る。

 

フランスがドイツ軍に侵攻され時の政権がナチスに協力、パリから中部ヴィシーに首都移転し「ヴィシー政権」となる。

フランス領カサブランカは亡命者の経由地でヴィシーの警察が目を光らせる。映画のルノー署長もナチ協力の立場であるが、食わせ物。

来訪したドイツ軍少佐を署長が歓待し人気の酒場へ、オーナーのリック(ハンフリー・ボガード)はアメリカ人だが中立主義者。
非合法で手に入れた通行許可証を持った男が店に現れ、警察に追われ外に逃げ出し射殺、倒れた壁にヴィシー首相ペダンのポスター、強い批判表現。

 

店でドイツ軍人たちが歌い出すと、対抗したフランス人が「ラ・マルセーズ」を歌い出す、ドイツ軍人も負けじと歌うが、共感する客の大合唱、酔ってリックにからんだ女性(マデリーン・ルポー)も涙顔で歌う、フランス出身女優で真実の涙だろうか。
ドイツ軍人は退散、音楽で抵抗するシーン。

 

過ぎた恋も絡んで話が展開、中立のはずだったリックがレジスタンス大物亡命を助け霧の空港へ、追ってきたドイツ少佐を射殺。

同行したルノー署長は知りながら見逃しミネラルウォーターを飲む、ボトルのラベル「ヴィシーの水」を見てごみ箱に捨て足で蹴り、リックと霧の中へ消える。
徹底したナチスヴィシー政権批判。

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当時日本がドイツ同盟国だったことを思えば複雑だが、それもこれも置いといてロマンスとジャズに彩られた映画として楽しめるのはありがたい。

 

映画と音楽113-彩雲追月

本日「俺のフレンチ横浜」ソロ出演。


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映画と音楽113-彩雲追月

2000年の上海公演より1年余り前、二胡と共演出来そうな中国曲を探した時期がある。
「月圓花好」、コン・リー主演の中国映画「上海ルージュ」(1995)の挿入曲として使われ、ラテンリズムで創作フレーズ加味してアレンジ(「花好月圓」も有名だが別曲)。
他に二胡音楽CDで「おや?」と耳に留まった1曲、昭和歌謡「南の花嫁さん」だがタイトルは「彩雲追月」。日本の曲を二胡演奏にアレンジしたと思いチェン・ミンさんに聞くと中国の有名な伝統曲だと言う。どういうことか調べた。

 

作曲家、任 光(レン・クワン)はフランス留学で洋楽を学び中国に帰国、1930年代に「彩雲追月」他の作品を書いたが1941年に共産党と国民党の内戦により40歳で早世。
その直後の昭和17年、日本人作曲「南の花嫁さん」として高峰三枝子さんが歌い大ヒット。
ネムの並木を・・・お土産はなあに・・・

 

戦後、高峰三枝子さんがテレビ番組「3時のあなた」司会者としての取材で国交回復前の中国を訪れ、街で自分が歌ったメロディーが流れるのを不思議に思い、中国曲と知って驚いた。
帰国して伝えると音楽界に衝撃が走ったが世間には公表されず・・・と、以前ネットで見つけた記事にあった。現在は任 光作曲とされている。

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私は北京のショッピングモールやタクシーラジオで耳にし、最近でもユーチューブに様々なバージョンがアップされている。
牧歌的な美しい旋律にジャズ的ハーモニーとフレーズを加えてアレンジし、時折の共演で欠かせない曲となっている。