60年代後半、ヒッピーやドラッグは一種の若者文化となって、ロックやジャズの音楽界とも縁が深いと言われていた。
そこに全く興味がなかった私は、ジャズピアニストとしての生活が始まった時にわずかな怖さがあった。
例えば、それをやっている演奏家に誘われるとか、無理強いされるとか、しかし、そんなことは全くなく、既に悪しき過去の話しになっていた。
と言ってもそう遠くもない過去だったので、こういうこともあった。
あるキャバレーで共演したテナーサックス奏者は毎日休憩時間に分厚い本を読んでいた。
真面目な人柄で学者肌の方かと思い何気なく「何を読んでるんですか」と聞くと黙って表紙をこちらに向けてくれた。
「薬物の危険性」(正確ではないがそういう意味のタイトルだった)
本人に聞き難かったので別の部屋にいたバンマスに「あの人何であんな本を」と聞くと、「彼は以前薬物をやっていて克服したから戻らないように頑張っている」と言われて驚いた。
この時代(70年代半ばから後半)はまだこういう人がわずかながらいた。
そのもっと前の昭和20年代、あるお客様から伺った体験談。
大学受験の徹夜勉強中、人に聞いて「眠気覚ましの薬」を薬屋で買って頑張ったら中毒となり苦労して克服、「当時簡単に買えてそういう人が多かったから法律で段々厳しくなった」そうだ。
そんな時代からジャズの第一線で活躍されてきた、北村英治さん、芦田ヤスシさん、光井章夫さん他は皆さんクリーンに生きて素晴らしい大先輩。
皆さん口をそろえて「ああいうことをやってた奴は長生きしなかった」と。
お客様が感じるジャズ演奏の不良っぽい魅力も芸の色気。