2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

本日スイング / 北京ドライバー2-緊張する

かなり久々に7月のスケジュール更新しました。 本日は久々に銀座「スイング」に出演。さて、昨日からの続きですが・・・。 北京ドライバー2-緊張する 穏やか丁寧だった運転手ピーさんのタクシーを降りたのは天安門広場で、午後4時近かった。 ツアー到着…

7月スケジュール

まだまだ、出演は少ないですが7月の出演予定です。 7月 5日 俺のフレンチイタリアン青山 ソロ弾き語り 8水 俺のイタリアンJAZZ / 俺のやきとり 銀座 ソロ弾き語り 15水 銀座スイング 21火 俺のフレンチイタリアン青山 ソロ弾き語り 23木 俺のイタ…

北京ドライバー1-にわかツアコン

2006年秋、ピアノの生徒さんたちと北京旅行に行くことになった。 20代女性二人と70歳男性、皆さん中国は初めてで、北京に何回か行った私がにわかツアコンとなって2泊3日の旅。 到着した翌日は快晴に恵まれ、「万里の長城」からスタートする一日の…

握った拳(こぶし)

30歳になる頃、郷里福井のあわら市に住む母が函館に住む兄の下へ引っ越して、実家がなくなった。 家内も同郷なので帰省や仕事で福井には行くが、あわらとの縁は薄くなって何年も過ぎた。 40代後半、福井市で地元新聞社主催による「高浜和英トリオ・コン…

バイエルとラーメン

昨日、初めて餃子を食べたのが18歳以降、そんなまさかと思う人がいるかもと書いたら、「そんなまさかでした」のメールを頂いた。 確かに昭和30年~40年、福井県芦原町(現あわら市)は温泉町ではあったが、中華料理店、ラーメン専門店はなく、そば、う…

ギョウザ4-麻婆豆腐に出会う

餃子を初めて食べたのは東京に来た18歳以降かと思う。 そんなまさかと思う方がいるかもしれないが、昭和30年~40年代、福井の温泉町にはそば屋のメニューに中華そばがあっただけで、中華料理店もラーメン専門店もなく餃子もなかった。 同郷同世代の家…

ギョウザ3-ワンタンで張り付く

「餃子」は中国でもほぼ同じ漢字で読めるが、ワンタンは日本で見る「雲吞」が広東など南の言葉で、北京など北では「餛飩」と書く。 2000年に家族で北京旅行に行き、タクシー運転手が「安くて美味しい人気店」と教えてくれたのが「餛飩侯」(ワンタンホウ…

ギョウザ2-手作り体験

昨日書いた「水餃」(シュイジャオ)は、中国では正月料理で、じいちゃん、ばあちゃんから孫まで家族総出で作業を分担して作る、家族のきずなでもあったが、最近は核家族化でスーパーの冷凍餃子がよく売れるらしい。 50代過ぎた頃、地元の公民館で「中国文…

ギョウザ1-あれぇ?

「餃子」は中国語で「ジャオツ」と言うことを知ったのは20歳頃だった。 友人と街の中華屋に行き「餃子2つ」と注文、店員さん威勢よく「はーい、コーテルリャンガ!」、リャンガは中国語の2個だと分かったがその前が違うので、「餃子はジャオツじゃないん…

マスターAさんー3

マスターAさんの店はスポンサーがいらして、趣味でジャズピアノを弾くほどの音楽好きでお仲間の会を開くなどして応援し、私の出演日にもよくお越しになってくれた。 ライブは夜7時過ぎから11時半までだが、大抵、9時過ぎてご常連がお帰りになるとマスタ…

マスターAさんー2

2005~6年頃、ソロで出演し始めたライブのマスターAさん、人は悪くないが愛想は・・・、出演から1年過ぎる頃から客足は少なくなっていった。 私にこの店が盛況になるファンがいればいいのだが、各所出演していて難しい。 マスターため息交じりで「毎…

マスターAさん―1

「ロミ&ジョーカーズ」は10年活動して自然解散した後、弾き語りをしたいと思ったが、一人で歌うのは難しかった。 コーラスはきまったフレーズを複数一体となって合わせるが、ソロヴォーカルは自由な表現が大切、その自由が不自由で技術も表現も足らず。 …

時の流れ

昨日まで1970~80年代の話を書かせてもらった。 私がスイングジャズと出会ったきっかけのクラリネット小田洋司さんは「俺は時代遅れ」が口ぐせだった、当時テレビでも人気だった北村英治さんですら「あの時代は辛かった」と振り返るのは、ジャズがモダ…

コーラスでデビュー

昨日、「ディレクター川島重行さん」と書いたが「プロデューサー」の誤りで、謹んで訂正します。 現在でもネットに功績が評価されるプロデューサーとの出会いはとてもラッキーで、スイングジャズを旬の新鮮な音楽として表現したい私の想いが形になろうとして…

マネージャーとコーラス

前日からの続き 「亜樹山ロミとスイングジョーカーズ」を結成して、私がコーラスのアレンジ、ほぼ3日おきにリハーサルの日々、ほどなくロミさんの弟が転職を機にバンドマネージャーを買って出た、27歳の私より二つほど若かった。 我々はそれぞれに活動し…

マジでコーラス

1940年代までのジャズは大衆娯楽としてショーアップし、バンドが掛け声や歌うことも珍しくなかったが、50年代半ば以降ビバップ、モダンへと進化するにつれて歌手が歌い、バンドは楽器演奏のみが普通になった。 1982年、国分寺のライブ「アレキサン…

シャレでコーラス

昨日からの続きで、クラリネットの小田さんの仕事で知り合ったベーシストとドラマーは私とほぼ同世代。 ドラマーはモンキー小林(現:小林陽一)、ビバップスタイルのバンドリーダーとしてライブ活動、スイング曲は初めてだったが「楽しい」と、それは小田さ…

若き日の悩み

1970年代後半、ホテルやキャバレーなどのバンドにレギュラーとして毎日通う仕事を「ハコ」と呼んでいた。 通常はポピュラー音楽や映画音楽が7割でジャズは3割ほどだったが、クラリネットの小田洋司さんのハコは演奏の7割がスイングジャズだった。 ス…

スイングに出会う

昨日書いたコルトレーンの「至上の愛」は1965年に発表され『ジャズが大衆娯楽から芸術音楽に至った作品』と高く評価された。 ジャズは芸術的発展へと進みファンはそれ以前のスイング、ディキシーなど見向きもしなくなり、ジャズ喫茶にはかつて花形楽器だ…

ジャズ喫茶の通

20世紀初頭に生まれたジャズが世界中の大衆音楽に影響を与えて、ちょうど半世紀経った頃からロカビリーなどポップな傾向へ変わっていった。 日本では昭和30年代までロカビリーでも何でも生演奏の店が「ジャズ喫茶」だったのもジャズが主たる大衆音楽だっ…

透明アクリル板

昨日のブログに「人前での演奏49日ぶり」と書いたのは間違いで、本当は69日ぶり、コロナ休業ボケで大変失礼いたしました。 銀座「スイング」に行くと、ステージ各楽器の位置に東名アクリル板が設置してあった。 マイクスタンドを利用したもので可動式、…

本日銀座ライブ

今月に入って営業再開した銀座「スイング」に本日ライブ出演する。 コロナで私の演奏活動は4月2日以降全て休止、21日に北村英治さんとのオンライン動画ではこのお店が休業中で無観客の撮影、人前での演奏は39日ぶり。 客席の配置など感染防止対策をと…

わらう

1995年、私が40歳の時、若手クラリネット奏者竹花くんから仕事をもらって目白の椿山荘に行った。 パーティーでの演奏とだけ聞いていたが、会場に行くとステージ両側にでかいスピーカーがあって音響スタッフが忙しく動き何やら大掛かりだ。 何だろうと…

帳(とばり)

昨日ブログで紹介した「青い火影のブルース」は原題が”Night Fall”、「夜のとばり」の意味だが、「青い火影」としたところが昭和らしく情景も浮かんでくる。 とばり「帳」は『カーテンのような室内を区切る物のこと』だそうで、漢字と意味から「蚊帳(かや)…

ブルースなくして

19世紀アメリカで黒人の労働歌にある形が生まれ、これを「ブルース」として世に紹介したのが作曲家ウイリアム・クリストファー・ハンディ。 このハンディさんの伝記をナット・キング・コールが演じたのが、映画「セントルイスブルース」(1958年)。 …

銀座Swing再開

ライブハウス自粛が続く中で、銀座「スイング」が今月から営業再開、10日と30日に出演する。 ふた月余りの家籠りで、ピアノは練習してきたが歌の練習が出来ず不安もあって、昨日、四谷三丁目「ダイヤモンドクラブ」に練習に行った。 定例デュオライブや…

タキシードと洗濯物

クルーズでは日替わりのドレスコードがあって「カジュアル」「スマートカジュアル」「セミフォーマル」「フォーマル」、部屋に配布される船内新聞に案内がある。 昼間はカジュアルでドレスコードは夕方から夕食後まで、面倒に感じる人もいるだろうがこれも非…

トラ(臨時代演)

昨日ブログにドラムのトラ(臨時代演)がギターだった話を書いたが、ドラムならドラム、ベースならベースと同じ楽器が基本だ。 「来月〇日空いてませんか」と問合せが来て、既に仕事を入れていても条件などによって「行きます」と受ける、入っていた仕事に穴…

ジャニーギター

一昨日ブログに書いた「ザ・スプートニクス」はスウェーデンのバンドで、米国のベンチャーズと好対照のクールなサウンド。 大ヒットした「霧のカレリヤ」はマイナーの美しいメロディーで中間部にロシア民謡「トロイカ」入りで日本人好み、エレキは騒々しいと…

アテレコ2ー欧米の

欧米のテレビでは昔からアテレコが常識だった。 70年代放映されていた「ソウルトレイン」、エレクトリックギターなのににシールド(アンプに繋ぐコード)もアンプもないから一目瞭然。 1996年のアトランタ五輪の閉会式では、スティービーワンダーが「…